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介護を“やめた”娘の選択|グループホームで母と再び向き合う

母がグループホームで暮らすようになってから、私は1〜2週間に一度、面会に通うようになりました。

時間にして30分ほど。
会話の内容は毎回ほとんど同じ。
それでも、母の顔を見られるだけで、私の心は少し軽くなります。

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面会は、1〜2週間に一度がちょうどいい

私が面会に行けるのは、たいてい午後。
その時間、母はホールの椅子に座って、うたた寝をしていることが多く、「生活のリズムを崩してしまったかな…」と、いつも少し気になります。

それでもそっと声をかけると、母はゆっくり目を開けて、「来てくれたの?」と笑ってくれるのです。

交わす会話は、いつも同じようなことばかり。
でもその30分が、私にとってはかけがえのない時間です。

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母の中にある“時間のゆがみ”

母はグループホームを「自分の家」と思っていて、スタッフの方のことは「ヘルパーさん」と呼びます。

「朝はパンを食べたよ」「お昼はカップラーメンだった」など、話の内容は、家にいた頃の記憶とごちゃまぜ。
私の名前を告げると、「そうだったね」とうなずいてくれますが、おそらく本当はわかっていないのでしょう。

それでも、私がここにいて、母の前に座っている──
その“存在そのもの”が、母にとって安心につながっていると信じています。

母が繰り返し話す「ありがたい時代」

面会のたびに、母はこう言います。

「今はいい時代だね。
年寄りのことを、ちゃんとみんなが気にかけてくれる。ありがたいよ。」

そして、こんなふうにも。

「年寄りはみんな長生きしてる。
私の姉夫婦も、まだ元気でいるんだから。」

──実際には、母の姉夫婦は数年前に他界しています。
けれど私は、そのことをあえて伝えていません。

母のなかでは、時間がどこかで止まり、大切な人たちは今も元気でいてくれる。
その世界を、無理に壊す必要はないのです。

記憶には残らなくても、笑顔があればそれでいい

グループホームでは、月に1〜2度のイベントがあります。
外出レクリエーションや「リクエストメニューの日」には、お寿司や洋食が出てきたり──
先日は、93歳の誕生日会も開いていただきました。

けれど、母はそれらをまったく覚えていません。
昨日のことも、今朝のことも、記憶としては残らない。
母の中では、いまも87歳のままです。

それでも、笑っていたのなら、それでいい。
大切なのは「覚えているか」ではなく、その瞬間をどう感じていたか。
穏やかで、心地よい時間を過ごせたのなら、それが何よりの幸せだと思うのです。

「これでよかった」と思えるまでには時間がかかりました

今では穏やかに母と向き合えていますが、ここに至るまでには、在宅介護のなかで限界を感じた出来事がいくつもありました。

1.顔に残った、覚えていないアザ

ある日、ヘルパーさんから電話がありました。

> 「お母さんの顔が腫れていて、内出血のような跡があります」

帰宅すると、母の顔の片側が赤く腫れていました。
「どうしたの?」と尋ねても、母は「わからない」と言うばかり。

洗面所のドアにぶつけたのでは…と推測はできましたが、母自身がまったく覚えていないという事実が、何よりも怖かったです。

2.入れ歯洗浄剤を「薬」と思って飲んでいた

また別の日、母が入れ歯洗浄剤の箱を持って「これ、なんだっけ?」と聞いてきました。
長年使っていたのに、ある日を境に突然わからなくなってしまったのです。

さらに驚いたのは、母の言葉。

> 「薬かと思って、飲んじゃったのよ」

実際、中身は1つ減っていました。
私も確かめようと、少し舐めてみましたが、苦くてとても飲めるようなものではありません。

けれど母は、何事もなかったかのように平然としていて──
認知症は、なんでも食べてしまうと聞いたことがありますが、いよいよ母もそうなってしまったのか…と思うと、一気に不安が押し寄せてきました。

そばにいれば安心、ではなかった

「そばにいれば、何かあってもすぐに気づける」──そう思っていたのに、そうではなかった。

一緒に暮らしていても、すべてを防げるわけではない。
目の前にいても、見逃してしまう危険がある。
そしてそれが、命にかかわることになるかもしれない──

この頃から、私は母の施設入所を現実的に考えるようになりました。

今、母との関係は“ちょうどいい距離感”に

母は、安心できる環境で穏やかに暮らしています。

私は、介護者ではなく「娘」として、母に会いに行けるようになりました。

なんの心配もなく、「母に会いたいから会いに行く」ことが、とても自然なことなのです。

母が私を忘れてしまっていても、「来てくれたの?」と笑ってくれる。
その時間があれば、それでいい。

毎日平穏に暮らせるのも、この距離感があるからこそ。

今は、これでよかったんだ。
そう思える自分がいることに、心からほっとしています。

 

 

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