先月、母の介護認定更新がありました。
といっても、私がやることはそう多くありません。
市から届いた更新通知をグループホームのケアマネさんに渡すだけ。
その後の面談日程の調整や聞き取りなどは、ケアマネさんが市の担当者と連携してすべて進めてくれます。
今回の結果は、「要介護2」。
これまで長く「要介護1」だった母の認定区分が、ひとつ上がりました。
認知症の進行や体力の低下もある中で、あらためてここまでの9年間を振り返ってみようと思います。
2016年|父の急逝と、介護の始まり
2016年5月、父が急逝。
その直後から、母の認知症の症状が目に見えて進み始めました。
7月には市に介護保険の申請書を提出。
8月に「要支援1」と認定され、早速介護保険を利用して、シャワー椅子と浴槽用踏み台を購入(1割負担で計3,800円)。
けれど、数ヶ月後には「一人での入浴は危険」と判断し、母には我が家のお風呂を使ってもらうことにしました。
結局、購入した用品は、ほとんど使われることはありませんでした。
2017年|要介護1へ
母の状態は大きく変わらず横ばいでしたが、2017年7月の認定では「要介護1」に。
日常生活にはまだ自立できる部分も多くありましたが、少しずつサポートが必要な場面が増えてきました。
2018年|訪問介護の導入と戸惑い
日中一人で過ごす母の様子が心配になり、2018年5月から訪問介護サービスを開始。
- 利用頻度:週3回
- 内容:掃除と昼食の準備
- 自己負担額:約月5,000円
ところが、最初の1年はなかなか馴染めず、
「ごはんくらい自分で作れる」
「冷蔵庫を勝手に開けるから嫌だ」
などと、ヘルパーさんを困らせることも多々ありました。
2018年7月、介護認定は引き続き「要介護1」でしたが、認定期間は36か月になりました。
2019〜2021年|暮らしの変化と生活の工夫
- 2019年:ヘルパーさんにようやく慣れたものの、時折拒否反応もあり。
- 2020年7月:廊下で転倒。介護保険を利用して廊下と勝手口に手すり設置(1割負担で4,300円)。
- 2021年7月:引き続き「要介護1」。認定期間は48か月に延長。
暮らしを見守る工夫も導入
- 2021年12月:火を怖がるようになり、ストーブからエアコンに切り替え。
スマートリモコンを導入して、遠隔で冷暖房の管理を開始。 - 2022年11月:見守りカメラを母の部屋に設置。
- 2023年3月:突然の対人妄想が現れるが、翌日には落ち着く。

2024年|体力の衰えと、老健施設への入所
- 2月:姉夫婦の相次ぐ他界により、母が電話を使わなくなったため、固定電話を撤去。
- 8月:テレビの音が爆音になったため、ミライスピーカーを導入。
この頃から食が細くなり、軽度の低栄養状態と診断。
外出やデイサービスにまったく慣れていない母。
施設入所への拒否感が強かったため、「栄養管理のための入院」という名目で老健施設への申し込みを決意しました。
- 10月:入れ歯洗浄剤を薬と間違えて飲むというトラブルが発生。
- 11月:顔にあざ。原因は不明で、本人の記憶もなし。
老健からグループホームへ、そして現在
- 2024年12月:老健施設に入所。
リハビリの効果で、在宅時よりもしっかりと歩けるように。 - 2025年4月:グループホームに転居。
食事・おやつを完食し、月1の通院やレクリエーションにも参加。
施設のことを「家」と思っているようで、穏やかな日々を過ごしています。 - 2025年7月:要介護2に認定。認定期間は36か月となりました。
余談|父の三年日記に残されていた“気づき”
先日、実家の片付けをしていた時のこと。
引き出しの中から、父の三年日記が出てきました。
その存在は知っていましたが、父が亡くなった当時は読むことができず、そっとしまっていたものです。
9年が経ち、ようやくページをめくることができた私。
目に留まったのは、2015年9月の欄に書かれていた一文。
「最近〇〇(母の名前)が、何度も同じことを聞く。ボケたかな?」
父が亡くなる前の年の記録です。
母の認知症がはっきりと進行したのは、父の死後。
けれど実際には、その前から兆しはあり、父はちゃんと気づいていたんですね。
たしかに、あの頃の母の言動に「変だな?」と感じたこともありました。
でも、父が自然にフォローしていたから、私はそれを「老化の範囲」と思い込もうとしていたんです。
お父さん。そのとき、相談してくれればよかったのに──
そんな思いがふと胸をよぎり、胸がきゅっと締めつけられました。
でもきっと、父なりに「まだ大丈夫」と思いたかったのかもしれません。
あるいは、私に余計な心配をかけたくなかったのかもしれません。
ようやく読むことができた父の言葉は、当時の気づきとやさしさがにじんでいて、静かに私の胸に残りました。
おわりに|家族の中で育まれてきた介護のかたち
介護は、ある日突然始まるものではありません。
少しずつ、日々の暮らしの中に入り込み、違和感が積み重なっていつの間にか「支援」が必要になっていくものなのだと、あらためて感じました。
母の認定区分が変わっていく記録の裏には、私たち家族が支えてきた日々の積み重ねがありました。
制度や認定の話ももちろん大切。
でもそれ以上に、家族の中で、どんなふうに寄り添ってきたかという記憶が、今の私の支えとなっています。
昨日の面会では、母は私の顔をみて、ちゃんと私の名前を呼びました。


コメント
そらはなさん、大変ご無沙汰しております、でぶねこです^^
お母さま、施設に入居されたのですね!
老健からグループホーム、それぞれ違いはありますが、その人・その状態によって最適解がありますね。
グループホームが自分の家、そうなんですよね、私の義母もまったく同じです。
まるで自分の家のように、穏やかに過ごしているんですよね。
そらはなさんの10年ほどの介護の様子、こうしてみるといろいろとありましたね。
その時にできる最適解を模索して、今があるんだということ。
最後の「私の顔をみて、ちゃんと私の名前を呼びました」に、胸がぐっと熱くなりました。
でぶねこさんへ
振り返ってみると、ブログには書ききれなかったこともたくさんありました。
でも、その時、その時に、自分ができることをやってきたおかげで今があるんだなぁと、思っています。
母が穏やかに笑っていると、私も幸せな気持ちになります。