父の命日に、母と2人でお墓参りに行ってきました。
あまり前もって母へ話すと、認知症で記憶障害のある母は混乱するので、前日にでもお墓参りへ行くことを話そうと思っていました。
ところが母のほうから、しかも3日前に「〇日はお父さんの命日だからお墓参りに行かなくちゃ」と言ってきたのです。
そしてその日から父のお墓参りに行くまでの3日間、私と母は100回くらい同じ話を繰り返すことになりました。
同じ話を繰り返す母とそれを正そうとする私と
認知症の人の間違った話を正すのは、まったく意味がありません。
正論は通じないし、それを正したところで母はすぐに忘れてしまうので、無駄な努力に終わってしまうからです。
だから、たとえ母が間違った話をしていても、「そうなんだ~」と受け止め、「へぇ~」と聞き流す。
それだけでいいのです。
しかし、今回だけは母の間違いを正しました。
母が言うことには
▪命日だからお墓参りに行く。
▪お寺へ行ってお経をあげてもらう。
▪お坊さんと会食をする。
▪家にはお坊さんが来るから、仏壇にお布施を用意しておかなければならない。
とのこと。
しかし、父が亡くなって4年目となる今年は、お墓参りをするだけです。
お坊さんに、こちらから連絡をしない限りは、お寺へも行かないし、会食もしません。
まして、命日にお坊さんが家へお経をあげにくるなんてこともありません。
母へその旨を伝えると、大変驚き、すぐにまた同じ話を繰り返すのです。
2日間、この会話をエンドレス的に繰り返し、私は心底疲れてしまいました。
私がイライラするのは母が相手を責める時
こういった会話は日常茶飯事で、私もある程度は聞き流すことができるのですが、時に私がどうしても我慢できず、母へ声を荒げてしまうことがあります。
それは、母が間違った記憶の元で、相手を責めるような言動をした時です。
今回、母はお坊さんのことを責めました。
昔は、毎年命日にはお坊さんが必ず家に来てお経をあげたというのに、今のお坊さんはふんぞり返っている、ものぐさ坊主だ・・・と言うのです。
「毎年必ずって、何回忌までくるの?」と母に尋ねたら「33回忌まで」と言い切った母。
私が小学生の頃亡くなった祖母(父の母)の時は、家に来てなかったよね?と言うと、「(母の嫁ぎ先である)この家のことなんて知らないよっ!」と逆切れする母。
正論は通じません。
正そうとしても無駄です。
そんなことは百も承知だけれど、やっぱりイラっとします。
自分の間違いは決して認めず、話のつじつまが合わなくなってくると、誰かを責める。
そうすることで、母は自分でもなんかおかしいな?という不安を、解消しているのかもしれません。
そんな母にイライラし、腹が立っても、翌日には母は何事もなかったかのように忘れてしまうので、私も自分の中の怒りを呑み込むだけなのですが。
同じ話を繰り返す母へはオウム返しをするのみ
母は外出することはめったにありません。
病院の診察の時と、美容院へ行くとき、そして父の命日の日。
つまり母が外出するのは3~4か月に1度だけです。
外出ついでに、母の実家のあった場所へ毎回必ず連れていきます。
お墓参りを済ませたその日も、今はもうない母の実家の跡地へ行きました。
母は、街並みが変わってしまったこと、昔の面影がまったくないことに大変驚き、同じ話を繰り返します。
数カ月前にも来ているのに、母はまるで初めて来たかのように、毎度驚くのです。
以前の私ならば、何度も同じ話をする母に嫌気がさし、ろくに返事もしませんでした。
しかし今は、母が言った言葉をそっくりそのままオウム返しをします。
「この道を歩いて小学校へ行った」
「この道を歩いて行ったんだね」
「桜の木の下は毛虫が落ちてくるから怖くて絶対に行かなかった」
「桜の木の下は毛虫が落ちてくるんだね」
「何十年経っても思い出すのは、子どもの時に過ごしたこの町のことだけだ」
「子どもの頃、この町で過ごしたんだね」
オウム返しをしていると、次第に私もほのぼのとした気持ちがわいてくるから不思議なものです。
そして母も、しみじみと昔話をするのです。
世界は、未知のウィルスで戦々恐々としている中、助手席に乗せた母と同じ話を何度も何度も繰り返していると、車の中はなんと平和に満ち溢れていることか。
そんなことに幸せを感じたりします。
私も、歳をとった証拠だね。
そんなことを思った父の命日でした。
コメント
そらはなさん、 こんばんは。
みきぴんが と申します。
たまにブログを読ませて頂いてます。
認知症のお母様の話、とても参考になります。
実家から自転車&電車で30分ほどの距離で、離れて暮らしていますが、
掃除と保存食の準備の為に、実家へ帰る度に、
イライライライラしてしまいます。
優しく接してあげたいのですが、つい、母に小言を言ってしまい、自己嫌悪。
自分の母が認知症なのかどうか、きちんと調べてもらった事はありません。
かかりつけの医師に相談したところ、「認知症の症状が出てると思う。」と言われただけ。
多分、認知症なのでしょう。
そらはなさんのブログを読んでいたら、ウチの母にも、思い当たる節が。
同じ行動をしています。
若く見える母ですが、もう72歳だから、
そりゃ、足腰の痛みだけでなく、脳も老化してきてるのだろうから、しょうがない。
心配だけど、一緒にいるのが辛いです。
料理をするのも億劫なようで、
レトルトのカレーやシチュー、カップうどんを
抗がん剤治療中の父に度々食べさせていたりで、
「近くに住ませて、食事の面倒ももっと見てあげないといけないかなぁ。」と考えたりしてます。
父と二人っきりの生活だから、余計に症状が出てくるのかも?
もっと、いろんな人とコミュニケーションを取らせたら、
改善するかも? などと考えたりしてますが、
何が良い方法か分かりません。
何とかしてあげたいけど、部屋は散らかり放題。
モノを捨てられず、捨てれない言い訳ばかりを毎回聴かされ、うんざりする私。
他人(知らない通りすがりのおばあちゃんなど)には優しく接する事が出来るのに、
自分の親にはイライラしてしまう自分にも滅入ります。
そらはなさんのブログ、バイブルだと思って、参考にしています。
取りあえず、イライラせず、『オウム返し』実践してみます!
みきぴんがさんへ♪
こんにちは。
お気持ち、よーくわかります。
うちの母も認知症の専門医できちんと検査したわけではありません。
母へ「認知症の検査をしよう」と言ったら、怒る姿が目に見えます。
でも、今はこんな感じでいいかなぁ・・・とさえ、思っています。
母が不安なく日常生活が送れるよう、ほんの少し手助けをする。それでいいのだと思います。
みきぴんがさんのお母さまも、本人が今の状態で困っていないのであれば、部屋が散らかっていても黙認するしかないでしょうね。
ただ、お父様の負担が大きくなることが心配ですよね。
介護認定は受けられているのでしょうか。
市の職員なり、ケアマネさんなり、他人が介入することで、今までの状態に少し風通しがよくなるかもしれませんよね。
みきぴんがさんが一人でしょい込む必要はないので、上手にいろいろなサービスを使えるようになるといいですね。
オウム返しは、私自身の気持ちをクールダウンさせるのも効果があります。
何度もやってると、そのうちおかしくて笑えてきますよ(^^♪
そらはなさん、お久しぶりです。
お父様の御命日、月日は早いですね。
お母さんとの接し方も、初めの頃からを知っているので、すごく余裕が出てこられたんだなーと、しみじみしています。
でもイラッときますよねー。
私も母にはギリギリまで予定は伝えません。言って後から確認しても、そんなの聞いてない!となるからです。
電話で話すことが多いのですが、母がカレンダーに書き込める状況以外は、伝えません。書いていても不安になるようで何度も確認してくるので、私もストレスになるから、ギリギリに言います。
父と母も言った言わないでよく揉めています。私より毎日接している父のストレスは相当なものです。
これまで何でも母任せの父なので、未だにあれしてこれしてと頼むようです。
お父さん、相手は忘れる人なんですよ。と、何度話しても長年の夫婦の習慣は変えられないようです。
なるだけ感情的にならないように、3人の状態を俯瞰するようにしていますが、人間だから、親子だから抑えられない感情が溢れますね。
先日の給付金ですが、高齢の両親には難しいと私も思いました。
チェック欄のトラップもあるし。
両親には、申請書が届いたら通帳とマイナンバーカードを持って市役所に行くように伝えました。
私の町は田舎なので、もう頂戴しましたが、実家は都会なのでまだ申請書も届いてません。年金の口座に各自に振り込めば簡単なのにとモヤモヤしています。
ともさんへ♪
こんにちは。
ご両親と離れて暮らすともさんん、いろいろ心配なこともたくさんあるでしょう。
最近思うのですが、結局人間はみんな一人だってこと。
私のように親と二世帯で隣に住んでいても、24時間親についてはいられませんし、結局何かあってから動くということになるので、どんなことがあっても冷静でいられるよう、準備だけはしておく・・・ってことかなぁ。
あれこれ親に言ったところで、聞きませんしね(^-^;
ともさんのご両親も、なるべく長く2人で助け合ってやっていけるといいですね。
私も、毎日いろんなモヤモヤはありますが、考えても解決しないことがほとんどなので、親とは距離間が大事かなと切に思います。