今年は、忖度(そんたく)という言葉が一躍注目を集めましたが、これってとても難しいことです。
相手が何を言いたいのか考えることはできても、本当の心の内はその人にしかわからないのですから。
母の言動を私なりに忖度してみたけれど、やっぱり言葉でしか伝わらないってこともあるんだなぁと思った出来事がありました。
トーストとジャム
母は毎朝、1杯のコーヒー牛乳と1枚のトーストを食べます。
トーストにはジャムを塗って食べていますが、それがいちごジャムだったりブルーベリージャムだったりマーマレードだったり。
特にジャムにはこだわりはないので、いろいろな種類のジャムを買い換えながら楽しんでいるといった具合。
私が子どもの頃から共働き家庭だった我が家は、朝の食卓にはトーストとジャムの瓶とコーヒーカップが並べられるだけ。
それを各自が自分の好きなようにトースターでパンを焼き、好きな飲み物を飲んで、出勤・登校するというのが、朝の風景でした。
私は、トースターで熱々に焼けたばかりのきつね色のパンの表面に、すぐにマーガリンを塗ってじゅわ~っと溶けだしたところに、うすーく砂糖をまぶす・・・という食べ方が大好きでした。なので、トーストにジャムという組み合わせは私にとっては邪道。
しかし、父も母も必ずトーストにはジャムをこってりと塗り「栄養になるから」と言って食べていたのを、今でも思い出します。
子どもの頃、戦争を経験した父母ですから、ジャムも貴重な栄養源ととらえていたのかな。それとも単なる好みだったのかは、定かではありませんが。
私が高校を卒業し家を出てからは、実家にジャムの詰め合わせセットなんぞを贈ったりもしていました。
紙カップのジャム
私が十数年前に実家に戻り二世帯住宅で暮らすようになった時も、父と母の朝食は昔と変わらずトーストとコーヒー。
しかし、いつしかジャムは瓶のものから紙カップに入ったものへと変わっていました。
紙カップのジャムは、とてもリーズナブルでサイズも小さめなので、短期間で食べきることができます。なので、いろいろな味を楽しめるという利点もあるし、食べ終わったあとの容器は燃えるゴミとして処分できるので、ゴミの分別も簡単なのです。
父が亡くなったあとも、母に頼まれて紙カップのジャムを買っていましたが、ある日私は瓶入りのイチゴの粒がゴロゴロと入ったちょっと高級なジャムを買ってきました。
なんとなく・・・、そう、本当になんとなくですが、母にはちょっと高級でちょっといいものを食べてほしくなったからです。
決して紙カップのジャムが悪いと言っているわけではないのですが、ほとんど外出することのない母に、今はこんなジャムもあるんだよということを教えたかったから。
そして母があとどれくらいおいしく食事をできるか考えた時、日ごろはとても慎ましやかに贅沢もせずに暮らしている母に、「ちょっと高いもの」「ちょっと贅沢なもの」が、毎朝の食卓にあってもいいんじゃないかと、思ったから。
いつものでいいのに
「こんな立派なジャムなんて要らないのに。いつものでいいよ」
と、母は言ったけど、
「たまには別のも食べてみてよ」と私。
それ以来私は、母にちょっと高い瓶入りのジャムを買うようになりました。母一人なので、ジャムも一番小さい瓶のもの。
しかし、先日。
ちょっと変わったジャムをお店で見かけ、サイズもやや大きめだったしお値段もそれなりに高めだったのですが、母へ買って帰りました。
そして数日後、母が私のところへそのジャムの瓶を持ってきて言いました。
「この蓋開けてちょうだい。開けられないのよ」
私がそのジャムの蓋を開けると、
「歳をとるとなんにもできなくなるものだ。こんなきついジャムの瓶なんて、開けられるわけがない」と、母がつぶやいた時、初めて私は気づいたのです。
自分がよかれと思っても
母が「紙カップのジャムでいいよ」と言ったのは、「簡単に開けられるから」という理由もあったのではないだろうか。
父が亡くなったあとも、母はなるべく自分の身の回りのことは自分でするように心がけているけれど、少しずつできないことも増えてきています。
洗濯機の使い方がわからなくなった。
お風呂の入れ方がわからなくなった。
冷凍食品をレンジでチンするのさえめんどうでやらなくなった。
薬の飲み忘れが多くなってきた。
何が必要なのかもわからなくなってきているので、買い物を頼むこともしなくなった。
それでも母は懸命に自分ひとりでなんとか暮らしていこうと努力はしているのです。
私が仕事で不在の日中は、宅急便を受け取ったり郵便物を取りに行ったり、電話での応対をしたり。
昔から新聞を読むのが大好きな母なので、今でも全国紙と地方紙は隅々まで読んでいます。
そして母は、人一倍プライドが高く、誰にも迷惑はかけられないという気持もあるので、なるべく人に頼るようなことはしないよう気を遣っているのがよくわかります。
だから、私が母に「ちょっといいジャムを食べてほしい」という気持で買った瓶入りのジャムは、結局は母が一人で開けることができず「また自分ができないことが増えた」と母に思わせてしまう材料となってしまったのではないだろうか。
母のプライドを傷つけてしまったのではないだろうか。
私も自分が歳をとったと感じる瞬間は多々ありますが、80歳を過ぎた母の気持ちは、やはり自分も80歳を超えないとわからないことなのかもしれません。
自分がよかれと思ってやったことが、時には相手を困らせることになることだってあるんですよね。
忖度するということ
忖度とは、「相手の気持ちをおしはかる」ということ。
相手が何を言いたいのか考えることなんです。
しかし、「相手が何を言いたいのか考えて」そのうえで「何かを配慮する」という意味はないそうです。
つまり、母が「いつものジャムでいいのに」と言った言葉の裏には、「私に買ってきてもらうことへの遠慮」とか「(値段が)安いものでいいという配慮」と、私は母の気持ちを忖度したのですが、それを母に確認もせずに「ちょっと高いおいしそうなジャムを食べさせたい」という「勝手な配慮」で、微妙に気持ちがすれ違っていたのですよね。
結果、ジャムの瓶が一人で開けられずに困ってしまった母がいて。
やっぱり母に言われた通り、これからは紙カップのジャムを買ってこよう。言われたことをその通りやっていればいいんだろうな。
なんてことを考えた時、頭の中で「ちーがーうーだーろーっっ!」という声が聞こえてきました。
ちょっと高くておいしそうなジャムを見つけたら、それを母に渡す前に、私がジャムの瓶の蓋を一度緩めておいてから渡せばいいんだ!!
嗚呼。
こんな簡単なことに今頃気づくなんて、忖度できていない証拠よね。
人の心を推し量るって、本当に難しい。
コメント
一回開けても冷蔵庫に入れるとまたきつくなってしまいます。
今は百均などにもすべらない蓋開け用のゴムなども売っていますし、
蓋の部分をお湯であたためるか、ドライヤーであたためても
簡単にあけられますよ。
ひろまるさんへ♪
そうなんですよねー。冷やすとまた蓋がきつくなってしまうんですよね。
蓋開け用のゴムも以前父母にプレゼントしたのですが、それを使っていたのは父であり、母は持とうともしませんでした。
新しい道具は、使えないと決めつけるんですよね。
温めたりするという工夫もできません。
これはもう、歳をとる以前の問題です。
なんとか母にできる策を考えたいと思っています。
そらはなさん優しいですね。母がそのくらいの年齢になったらそらはなさんのように接してあげようと思いました(^▽^)
三上えりさんへ♪
日々、葛藤しながら母と接しています(-_-;)
今はあまりキツイことも言わなくなった母ですが、以前母に言われた言葉がずーっと心の奥に残っているんですよね。
だから母にやさしくしようと思えば思うほど、苦しくなってきます。
心の底からやさしくできる心が欲しい・・・。
そらはなさん、おひさしぶりです☆彡
寒いですね~!雪降ったり吹雪いたり、運転とか体調管理とかお気をつけくださいね。
実は、途中まで読んでて、「あ~瓶のジャムだと開けるの大変だろうな~…」と思いました。
というのは、私自身ちょっと手にハンデを抱えてて、ペットボトルのフタを開けるとかドアノブをひねるとか、そういう「普通の人なら何でもないこと」のハードルが高いからなんです。
でも、これはなかなか他人には分かりません。自分が実際に手が悪くならないと想像できないことばかりだと思います。
私もこうなる前は「握力がない」って言われて「あ~そうなんだ、大変そう」と思っても、具体的にどういう苦労があるかなんて考えたり、配慮したりなんかできなかったです。
私にとっての「普通」と他の人にとっての「普通」は違うんだな…ということは、自分がこうなってから考えるようになったけど、何もなかったら私も自分の「普通」が全てだと思っていることにさえ気づかなかったと思います。
同じものを見ていると思っても、見えているものは人によって全く違いますよね。物理的には同じ世界に生きているはずなのに、それぞれが全く違う世界を生きていて。
そらはなさんは、そんな「自分と違う世界」=お母様の心にいつも寄り添おうとなさってて、ホントに尊敬します。
お母様にいいジャムをプレゼントしたい、美味しい朝食を召し上がってもらって、生活にちょっとした喜びを感じてもらって、より幸せになってもらいたい…そんなそらはなさんのお気持ちがお母様に伝わっているといいな。
フタを開けるのに少々苦労する私は、上でひろまるさんが書かれてるようなフタ開けの道具を使ってます。
ペットボトル用と、瓶用の二種類あって、瓶用は口の大きさに合わせられるもの。
フタって一度開ければ開けやすくなるんだけど、瓶はたまにまたきつくなっちゃうことがあるんですよね…。
紙カップに比べて瓶は重いので、握力ないと落としやすいのと、ゴミ出しも大変かもしれないです。
もし、お母様がやっぱり瓶のジャムは美味しいと思われたのなら、たまにプレゼントするくらいでいいのかなと思いました。
そして「美味しそうだから、食べてほしいと思って」というそらはなさんのお気持ちも言葉で伝えたらいいような気がします。
押しつけにならないようにって、なかなか難しいですけどね…。
お母様がもしお断りになったら、「紙カップのジャムの方がいい」というお母様のお気持ちであって、そらはなさんへの否定ではないです。
そらはなさんは、お母様に瓶のジャムを食べさせたいのではなく、お母様の幸せを増やしたいだけなのだから…。
そらはなさんのお母様はプライドが高くて努力家でいらっしゃるんだなということは、ブログ読んでて伝わってきます。
出来ていたことが出来なくなるということ、弱くなるということは、そういう方にとっては本当に辛いことだと思います。
自助具使ったり他人の助け借りたりして「出来る」ようになることもあるし、それで十分「出来た」ことになるのですが。
弱さを受け入れるって、自分のことでも他人のことでも難しいです。
お母様に笑顔でいてほしい、幸せに暮らしてほしい、というそらはなさんのお心がかないますように。
白雪さくらさんへ♪
ああ、そうなんです。
私も母も「弱さを受け入れる」ことがなかなかできないから、苦しいんだろうな・・・って思いました。
どんなに相手の立場になって考えても、本当に相手の気持ちをわかることはできないんでしょうね。
相手に対しての遠慮もあるから、なかなか本音は言えないし、それが母と娘であってもこうなのだから、難しいですね。
白雪さくらさんは、手にハンデを抱えていらっしゃるのですね。外見的には違いがなくて、握力などという目に見えない部分であるとすれば、それをわかってもらうのは困難ですよね。
だから自助具など上手に活用して生活できるということは、まだまだ考える力もあるし知恵もある。
うちの母は、歳をとる以前から、そういった道具やメカを使うのが本当に苦手な人でした。
瓶の蓋を開けるゴムも実家にはあるのですが、たぶん母はそれが何かわかっていません。
使い方を教えても、「そんなのめんどうだ」とか言って使おうとしないのですよね。
でも、いいのです。私が母の自助具になればいいのだと、ある日割り切ることにしました。
いつかは母も亡くなるし、私もいつかは死ぬのだし、そう思えば今起きていることは、たいしたことじゃないと思えるようにもなりました。
でも、
白雪さくらさんのコメントは、温かくて涙が出そうになりました。ありがとうございます(#^^#)
その年にならないとわからない、ということは、きっとたくさんあるのだと思います。
うちは夫が今年定年で、数年は嘱託で勤務しますが、収入が激減するという現実を前に、自分がとたんにケチになったのを自覚しました(笑)
今まで余計なものは断捨離だぁ!てな感じで、今使わない物は捨てればいいと思っていましたが、収入が減ることが現実を前にすると、消耗品もできるだけ取っとかなくちゃって思うんです。これがなくなったら買わなくちゃならないんだぞ、ということはお金が出て行くんだぞ、っていう発想になるわけです。ときめきとか言ってる場合か⁈なんてね。
だから、年配の方々物を溜め込むのもちょっとわかる。
私も母と接していて、簡単に「買えばいいのに」とか、言えないなと思うようになりましたよ。
年配者には年配者なりの理由がある。そう思って対処すれば、闇雲にこちらの価値観を押し付けなくてすむかもしれませんね。
しっぽさんへ♪
とても身につまされるコメントでした。
断捨離して、遺された家族が困らないようにしなくては・・・という反面、なんでもかんでも捨てるというのとは違うんですよね。
いつか使うかも・・・とモノをしまい込んでおくのは、年金収入に対する不安もあるんですよね。
これからは、買う時も本当によく考えて買わなければいけませんね。
「ダメだったら、また買えばいいや」という「また」という時間さえ、残されていない歳になったのだなー・・・と、つくづく思います。
価値観は人それぞれですもんね。親子であっても生きている時間も時代背景もちがうのですからね。
いろいろなことを考える歳になりました。
相手の気持ちを慮るのは、ホントに難しいですよね。
私も良かれと思ってしたことが、相手にとっては負担だったかなとか考えて、後悔することもあります。
記事を読んで、そらはなさんの優しさとお母様の心のうちを一生懸命にかんがえてみえる姿勢にとても切なくなりました。
家の中にいらっしゃるお母様に、美味しい物を食べてもらいたい。という素直な気持ち。
私もきっと美味しいジャムを買います。
とても責任を感じてみえましたが、今回のことで老いるということの学びになったのではないでしょうか?
義父もそうでしたが、できなくなることを恥じるんです。情けなくなるんですね。でもプライドが邪魔をして素直に頼れない。難しいです。
自分の力で生きることは、とても大事な自尊心ですね。
自尊心を傷つけないで手助けするのは、難しいですし、ストレスも溜まります。何度も問題にぶつかる中で、相手に応じた手助けができると思います。お母様もだんだんに頼ってみえるのではないでしょうか。
一人娘の私は、親の老いに向けて財産の家族信託を親に切り出そうかと迷っています。
まだ勉強中なので、話すのはまだ先のつもりですが、怒らないかなーとか色々と忖度する日々です。悩んじゃいますね。
ともさんへ♪
ああー。
私もきっと「できなくなることを恥ずかしい」と思うんだろうな。だから素直になれない頑固な歳よりになるような気がする・・・(^^;)
年をとって自分ひとりになったら施設に入ればいいや・・・って思っていましたが、「私、施設で歌いたくない歌を歌って、やりたくない体操をやって、それを決められた時間にやらなければいけないことが、楽しいと思えるの?」という疑問がムクムクと沸いてきて。
今はまた、どうするのが一番いいのだろうと、堂々巡りの自分がいます。
記憶が失われていく認知症にはなりたくないと切実に思うのに、いっそのことすべて忘れて施設に入ったほうが楽なんじゃないかと思ったり。
矛盾してますね。
親のことだけではなく、自分のことも悩んでしまいますねー。
こんにちは。
そらはなさん、やさしいなぁとジーンとしながら読みました。
最後の「ちーがーうーだーろっっ!」に笑った~。
ここに来るといつも優しい気持ちをもらえてホッとします。
人が人を思いやる気持ちって美しい。
美しいっていうとキラキラしたイメージかもしれませんが
そうではない、もっと柔らくたおやかな、美しい。
もちろん日常には美しくないこと沢山ありますよね。
それでもやっぱりそらはなさんの毎日は美しいなぁと思うし
私も少しは見習わなくっちゃ!と襟を正すことしきりです。
話が全く飛びますが、そらはなさんのブログを見て
渋谷のラクレに行ってきました。美味しかったです。
出されたお水を飲んで、そうそうレモン水なのよね!と思っちゃいました。
猫仮面さんへ♪
「やさしい」とか「美しい」とか、そういった言葉に恐縮します。
実際の私は、母と接しながらイライラしたり悶々としたり。
そして後になってから、あーでもない、こーでもないと考えて、現実にはもやもやとしてるんですよね。
でも、考えてもしかたがないことはたくさんあって、物事はなんとかなるし、なるようにしかならない。
だから考えるだけ考えて、それをブログという書く手段でまとめて、あとはスッキリ・・・って感じで消化しているのだと思います。
ラクレ、行ったのですねー!
ああ、またあの溶けるチーズが食べたいなー!レモン水もおいしかったなー。
ラクレでのチーズの匂いを思い出しました(^^♪
いつも毎日楽しみにこっそり読ませてもらっているのですが、恥ずかしながら・・・どきどきしながらはじめてコメントをいれます。^^
私はいろいろな関節などに多々病気があるので若い?(アラフォー)ですができないことが同じ年の人より多いので年寄りのような体ですのでお母様の気持ちがわかります。
瓶のふたがあけられない、普通の人がもてる者がもてない、重いものがもてないなどなど。。
家にあるもの、つかうもの、食べるものなども小型で軽くてあけしめ、操作がしやすいなどなど。そうして、なるべく家族に「これ、できないからお願いします」といわなくて一人でできるよう少しづつ家庭内を数年かけて改造してきました。
家族に迷惑をかけるのがつらい、家族に愛情があるからこそそう私がしているので、娘への愛情と配慮だと思いますよ^-^♪
もし、相手の困ったがわからないなら、すべりやすい手袋や腕に重りををはめて色々な作業をされてみると同じような体験ができるかななど思いました。
みかんさんへ♪
コメントありがとうございます(#^^#)
自分の常識が、他人の常識とは限らないのですよね。
自分がやっていることが当たり前ではないのですもんね。
みかんさんは、持病があるからこその、家族に対する配慮も十分すぎるほどされているのでしょうね。
「何か困っていることがあったら言ってね」ではなく、相手のことを日々観察していれば、おのずと何が不便で何に困っているのかわかるようになるんでしょうね。
さりげなく手を差し伸べられるようになりたいものです。
そらはなさんの優しさと、賢さにいつも尊敬しか感じたことはないです。自分はあの時、なぜ、母の生前にそこまで考えれなかったのかなと、胸が苦しくなることが度々です。そらはなさんの手記{古い?〕を読んで、良い形で追体験する感覚です。亡くした人とのやりとりは、やり直せないけど、そらはなさんは今なら、お母様との会話や体験をやり直せる、何度でも。そらはなさんもお父様を亡くしたからこその、今の対応なのでしょう。ぜひこれからも、そらはなさんの試行錯誤を掲載していただきますように。
金色のぞうさんへ♪
お母様、亡くなられていたのですね。
親が亡くなると、どんなに尽くしても何をしても、やっぱり後悔は残るんですよね。
あとは自分でどのように気持ちを整理し、どうやって自分が生きていくか心のよりどころがあればいいんでしょうね。
毎日試行錯誤だらけなので、ブログに書くことはたくさんあるんですけどね(^^;)
なるべく忘れないうちに、記していきたいです。
こんばんは。
そらはなさん、優しいです。
相手の気持ち、自分の思い、的確に伝え合うのは難しいですね。
ここはひとつ、やっちまったな~と手短に反省し、不便を便利に変える工夫を考えると楽しくなりますよ。
そらはなさんの得意分野ですね美味しいジャムのビンの蓋を渡す前にゆるめるも良し、蓋の開けやすい容器に数回分詰め替えるも良し、可愛いい容器を探すのも良し。
母のプライド、娘の思い、足踏みしたり、ちょっと歩み寄ったり、そこが親子なのね…と、物思う暇もなくなる年の瀬かな
ルイコさんへ♪
ふふふっ(#^^#)「やっちまったな~」くらいに反省できたらステキですね。今度はそうします。
生まれた時から、親の背中をみて育ってきたのに、いつの間にか親を導く立場になった時、その立場のちがいにお互いが慣れないから、なんだかしっくりいかないのでしょうね。
思いやりは大切です。
でも、そのくらい察しろというのも、
全てお見通し察せるというのも、不遜な気がしませんか?→忖度という言葉から、私はこの感じを受けます
やはり、誠意を持って伝え誠意を持って聞くことは人との関わりの前提だと思います。
「質のいい、おいしいものをお母さんに食べてもらいたいの。私、それがうれしいのよ」心を込めてそう伝え、
開けにくいのがわかったら、仰っている通りフタを開けてから渡したり扱いやすい器に移し替えて差し上げればいいですね。
作物の収穫のない冬場に備えて保存食が作られました。
腐らないよう砂糖を加えて果物を煮てジャムになりました。果物、砂糖、加えてせいぜいレモン汁。(ペクチンはグレーゾーンです)
これが真っ当なジャムです。
現代において真っ当なジャムを製造販売するのはコストがかかります。
安く作りたいならどうするか ── 果物は減らして他のもので埋めあわせるんです。
糖分を増やしたり添加物で調整します。
それらがカラダにいいものかどうかはよく見極めた方がいいです。
砂糖自体も多量に摂りすぎる危惧が言われますが、さらに果糖ブドウ糖液やら異性化液糖やら…これはダイレクトに血糖値を上げます。
砂糖と違って消化の過程を経ないのでね。
血糖値が急激に上がる危険はこの頃よく言われますよね。
他には保存料が入っているものもあります。
植物油は圧搾法でとるのが真っ当な方法。が、手間もコストもかかります。
どうやって手早く安くあげるか。
石油溶剤につけて油分を溶かし出した後、200度以上の高温で数時間グラングランに煮沸かして石油溶剤を揮発させ油分のみにするのです。
その過程でできるのが悪名高きトランス脂肪酸とヒドロキシノネナール。
世界規模で研究により健康被害が報告されていて、先進国ではこんなものが入る食品を世に出すことを国として禁止し始めています。10年前から。
日本はなぜか禁止しません。
これ、サラダ油だけの話ではなく、
植 物 油 脂 としてマーガリンやらショートニングやらラクトアイスやらコーヒーフレッシュやらチョコレートやらの原料となって我々の口に入っているのです。
他にも、揚げ油として。
某ファストフードのポテトフライMサイズを食べたら、WHOの示す許容量の2倍のトランス脂肪酸を摂ることになるらしいです。
さらに言うならば、日本で認可されている食品添加物は300を超えますが、アメリカは130くらい、イギリスは20余です。
我々の現実がそうである以上理想ばかり唱えてもいられません。神経質になるのではなく実際的にふるまわなくては。
それでも少なくとも無自覚に何でも口に入れるのでなく、
ある程度の知識は持って、バランスをとりながら自分の身体を守る方がいいと思います。
とりあえず、人間の身体は食べたものでできていますもの。
生きているなら健康は何にも代えがたいですし、
健康でいることが 結局大きな節約にもなりますからね。
国が禁止しなくても、
消費者が買わなくなれば、企業としては買ってもらえるものを作るように変わらざるを得ないのです。
紙カップジャムとマーガリンに強く反応してしまいました。
もちろん、紙カップジャムにもマーガリンにも良心を持って作られたものはあると思います。
トランス脂肪酸含有量を開示している企業、開示を断固断る企業、に分かれますから。
TM♪さんへ♪
食の安全ということは、歳をとってからいろいろ考えるようになりました。
子どもにお金がかかっていたときは(今もかかっているけれど)、食べさせるのに精一杯で、それでもなるべく手作りしてきたのですが、添加物とか原材料とかはあまり考えていませんでしたねー。
それでも若いころは、体の新陳代謝が活発で消化能力も解毒能力もあったでしょうが、今はもうダメですねー。
食べるものも、少し高くても体にいいものを摂りたいと思うようになりましたし。
なので、私はまだしも、やっぱり母にはちょっといいジャムを食べてもらいたいな。
ここまでは許容できるけれど、これは譲れないという線引きも必要ですね。
健康と経済力のバランスも考えていかなければ・・・ですね。
為になりました。ありがとうございます。
匿名さんへ♪
コメントありがとうございました。