言葉にしないと伝わらない事と言葉にしても伝わらない事と 母と向き合ってこなかった罰かもしれない

言うんじゃなかった。
こうなることは、100%予想がついていたのに、言ってしまってから後悔するというのは、これで何度目でしょう。

母に言いたいことを言わないのは、自分が傷つきたくないから。
私が黙って母の言うことに従っていれば、母はとても穏やかに過ごしているのだから、それでいいのにね。
だけどその日は、なぜか母に言葉できちんと気持ちを伝えたいと思ったんですよね。

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隣の芝生は青いのか?

「Kさんのところの畑、見た?草1本生えてなくて、お花がとってもきれいに植えられてて」と言ったのは母。
知ってる。知ってるよ。
我が家の畑から見えるKさんちの畑は、テロッテロにならされて雑草ひとつないことを。
そして、色とりどりの花が季節ごとに変わり、野菜を育てているところと、見事に区分けされていて、まるで絵に描いたような土地。

そしてふと思う。
あれれ?母も、Kさんちのような整然としたきれいな庭が理想的なの?
我が家は、いたるところに木が生えていて、雑草と花が共存していて、そこに何が生えているのかさえわからないような状態。
草刈りに追われ木の剪定をする暇もなく、木がつけば伸び放題の枝や草。

ナチュラルガーデン?
ちがうって。
ナチュラルが美しいのは自然の山や野原。
家が建つ庭は、手入れをして管理をしてこそ美しいのだと私は思うのですが、この辺が親とは価値観がちがうのだからしかたがないと、ずっと思っていたのです。

「Kさん、すごいねー。よくもまぁ、あれだけ畑をきれいにしてるよねー」
母が何度も言うので、私の中で今まで言わずに黙っていた気持ちがムクムクと沸き起こってきました。
もしかして今なら、母に気持ちが伝わるんじゃないかと。

管理のしやすい庭にしたい

畑を雑草の生えない管理のしやすい庭に作りたい。
そう母に言うと
「やればいいじゃない」という返事。

えっ!いいの?
じゃあ、畑の場所と花壇を作る場所を分けて、それ以外の場所は雑草が生えないよう、石を敷いたり砂利を敷いたりしたい。
調子にのって母に伝えると
「どういうこと?全部コンクリートを流すってこと?」と母。

いやいや、全部じゃなくて、畑や花壇も管理できる範囲は限られているのだから、それ以外の場所に雑草を生えないようにしたいのよ。
そう言いながら、持っていた造園用のカタログを母に見せたのです。イメージがわきやすいようにと。

しかし、ここから1時間。私と母は、何度も何度も同じ会話のループにハマって抜け出せなくなりました。

想像すらできない母

1年間、木の剪定や草取りをやってきたけれど、できる範囲には限度があるということを思い知ったこと。
仕事をしながら、休みの日は全部畑に時間を取られるのがいやなこと。
しかし、家庭菜園や花壇は好きなのでやっていきたいこと。
それは、自分が手をかけられるスペースがあれば充分なこと。
それ以外の場所は雑草が生えてこないようにしたいこと。

そんな話を母に伝えたのですが、母の話の着地点は「庭に全部コンクリートを流すのか?」になるのです。そして「絶対許さない。庭にコンクリートを流すなんて後悔するにきまってる」とくる。
そうじゃない。畑は畑、花壇は花壇でやりたいの。全部コンクリートを流すんじゃないの。
どんなに私が力説し、イメージ写真を見せても母は「言っている意味がわからない」と言います。
そして「じゃあ、あんたはどんな風にしたいの?」と聞いてくるので、私は再び話を最初から説明することになるのです。

しかもおもしろいことに、話のループの途中で5回に1回は「あんたの好きなようにやればいいじゃない」と言ったりするのです。
えっ!やっていいの?と、嬉々として私が「じゃあ、造園業者の人に相談するね」と言うと、再び母は「じゃあ、あんたはどんな風にしたいの?」と、振り出しに戻るというパターン。

1分前に話したことを忘れて、また同じ質問、同じ会話。
母は認知障害があるのだから、私もいい加減やめればいいのに、もしかしたら母にきちんと自分の気持ちを伝えれば、わかってくれるのではないかという淡い期待もあったんですよね。

言葉にしないと伝わらない

認知症になると、まっさきに衰えるのが記銘力だといわれます。
昔の記憶は鮮明に覚えているのに、新しいことは覚えられなくなるのです。
そのうえ、判断力、理解力も衰えるのだから、母に同意を得て何かを変えるようなことは、絶対に無理だとわかっていたんですよね。

いや、おそらく母は認知障害じゃなくとも、昔からこの土地で暮らしていて、この状態が当たり前だったのだから、今どきのメンテナンスのしやすい庭というのがまったく理解できないのでしょう。

「石を敷く?歩道?そんなことしてる人誰もいない!」と母。

わかっていましたよ。
母に何か新しい提案をしても、今まですべて却下されてきたのですから、十分わかっていました。わかっていたけれど、この時は自分の今の気持ちを母に伝えたかった。
子どもの頃から母の意見は絶対で、母に黙って従っていれば、波風立てずにいられたけれど、自分の本心はいつも心の奥にしまいこんで押し殺したまま。
だけど、このままでいいの?
母にきちんと向き合うためには、自分の思いを言葉で伝えなければならないと、今、この歳にして思うようになったからなんです。

言葉にしても伝わらない

最近の母は、穏やかで落ち着いていました。
私と夫が、母に何も言わずに庭に石を並べて、砂利を運び込んできたときも、母は「なにをそんなに一生懸命やってるの?」と笑って見ていて、「勝手なことをするな」と怒るようなことはなかったのですよね。

だからこのままこの勢いで、メンテナンスのしやすい庭造りを業者に一任できるかなぁと考えたのですが、やっぱり無理でした。

「石畳を敷いて広くなった場所で何をするのだ?」と、母は言いました。
「何もしないのになぜそこに石を敷かなければならないのだ?」とも言いました。
「だれの迷惑にもならないから、草をそのまま生えさせておけばいい」とも言いました。

私が「雑草だらけの庭が嫌なんだよ。木がうっそうと生い茂るのが嫌なんだよ」と言うと
「あんたはそんなにきっちりきれいにしたいのか?草は生えさせておけばいい、木は伸ばしておけばいい」とも言いました。

きれいに整っているKさんの畑をあんなに絶賛していたのは、この時はもう忘れてしまったんでしょうね。
そして何度も何度も同じ説明を繰り返しても、1分後にはまた同じ質問をする母。
言葉にして伝えても、認知障害がある母にはわかってもらえませんでした。

向き合ってこなかった罰なのかもしれない

母はもう1人では判断できないし、何も行動に移せない。
それは高齢であるのだし軽度認知障害でもあるのだからしかたがないこと。

庭の草が伸びようと、木が覆いかぶさろうと、家の中で暮らす母が困ることはひとつもないのだから、私がメンテナンスのしやすい庭にしたいと言っても理解できないのは当たり前。

そのくせ時々「あそこの枝が格好悪く伸びてるからちょっと切ってほしい」などと言ってくる。
「とてもじゃないけど手が回らない」と言えば、すかさず、「お父さんはずっと一人でやってきたことだ」と言いやがる・・・、あ、失礼。言うのです。

母は自分で管理できないのに、私がやるしかないのに、そのくせ私の好きなようにはさせてくれない。
そして最後に母は言いました。

「私が死んだら家を解体して全部好きなようにやればいいでしょ!」
話は平行線どころか、ものすごーく嫌な気持ちだけが残ったままとなりました。

母は、このまま今まで生きてきたこの家で、この庭で静かに晩年を迎えたかっただけなのだから、今更新しく庭を造りなおすなんて考えられないんだよね。

だけど、休みのたびに庭にかかりっきりの私の思いもわかってほしかったのよ。

言葉にしなければ伝わらない気持ちと、言葉にしても伝わらない気持ち。
お互いに向き合うためには、言葉で伝えるしかないと思うのに、認知障害となった母とはもう難しいのかな。
それは、私が今までずっと自分の本心を隠して母に従うフリをしてきた罰なのかもしれないな・・・。

ちょっと今日は話が支離滅裂でごめんなさい。

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コメント

  1. うぐいす より:

    そらはなさん、ご苦労様。認知症の方と話しをしているとこの様な事が起こるのですね。
    本当に本当にご苦労様でした。
    私も田舎の一軒家で家の周りに草が生えて大変です。夫には家の前だけでもコンクリートにしようと言ってあるのですが、これ以上気温が上がるのが嫌なようで取り合ってくれません。砂利が薄く敷いてあり雑草が伸びています。

    この件については夫が生きている間は無理なのだと思っています。
    諦めるしかない場合もあります。
    そらはなさんはどうでしょうね? 工事をやってしまえば、案外奇麗じゃないと言って貰える気もしますね。だから迷われるのでしょうね。

    私なら工事してしまうかも知れません。どうせお母様は分からないのですから。
    聞かれたら、凄く奇麗になるんだってとでも答えておけばいかがでしょうか?

    草むしりってやってもやってもきりが無く、労力の無駄ですよね。確かに草むしりをした後はすっきりしますが、ほんの3週間程で元に戻ってしまいます。
    まるで賽の河原積みみたいですね。
    改善出来るところは改善しましょう。出来たらいいですね。

    • でこ より:

      そらはなさんはじめまして。
      いろんなことがありますよね、、
      私も母が認知症を患い、10年一緒に暮らし、今はグループホームのお世話になっています。なので会話が螺旋状にグルグル回り、或いは途切れ、深みにはまる感じ、よくわかります。そらはなさんも恐らくわかっているとおり、そうなったら無理矢理にでもいったん自分が場所を離れ、気分転換することが一番です。お母様にやたらと嫌な感情が残らないことが大事だと思います。真正面からわかって頂くことは、残念ながらもう無理かと思います。決して軽んじているのではないですよ。認知症の方とのつきあい方の観点から、です。ある時点から私はそうしました。

      シートを敷いたときみたいな感じがよいのではないでしょうか。あらあら何を始めたの?なんか聞いたらいい方法があるみたいなの、ここだけ試してみるわね、みたいに突然の方がお母様も平和に過ごせるかなあと思います。

      • そらはな より:

        でこさんへ♪
        はじめまして。
        認知症って残酷な病気ですよね。気持ちが通じ合えないって、一番悲しくなりますもんね。
        私もわかっているつもりでも、やっぱり話をしているとヒートアップしちゃって・・・。
        余計なことを話して、無駄に母とケンカするより、静かに穏やかに暮らしたいです。
        地道に黙々とゆっくりやっていきたいと思います。

    • そらはな より:

      うぐいすさんへ♪
      今はコンクリート以外にも、いい素材がたくさんありますよね。
      私も、いろいろ調べたからわかったことですが、母がそれを理解するのは難しいだろうなぁ。
      旦那様もわかってくれるといいですね。
      たぶん私は、母の反対を押し切ってまでやることはできないのだと思います。
      それは子どものころから、母のいうことには逆らうことができなかったから。
      そしてどこかでわかってほしい、認めてほしいと思ってるからなんですよね。
      急がず焦らずゆっくりやっていきたいと思う反面、私もあとどれくらい動けるのかわからないのですから、それが一番の心配ですかねぇ。

  2. まりも より:

    認知症か否かに関わらず、親を説得するのは大変です。
    親にも考えはあるわけで。
    こだわる理由は子供には理解できないこともありますが、とにかく嫌となったら嫌なのですよ。
    要は、後々遺恨を残すリスクがあることを覚悟してやるほどの価値があるのか、ということです。
    例えトントン拍子に話が進んだとしても、業者が入ってから以降にまた話をひっくり返される可能性もありますよ。そうなったら、もっと話はややこしくなるのです。
    今回の、構想の時点でポシャったことは、ある意味ラッキーだったのかもしれません。
    過去に遡っての反省も不要です。あるのは「今」だけ。
    今だけ考えて、折り合いつけながらやっていきましょう。
    一番大事なことはなんですか?
    人間関係が良好であることではないですか?

    …と、自分自身にも言い聞かせながら、この文章を書いてます 笑。
    まだお父様を亡くされて、1年でしょう?
    こういうことは数年がかりで、じりっじりっと進めるしかないようです。
    やれやれですね。

    • そらはな より:

      まりもさんへ♪
      「嫌なものは嫌」っていうのが、ものすごくストンと納得しました。
      そうなんですよね。理屈とか説明とかは無駄であり、なにをどうしても「嫌なものは嫌」なんですよね。
      業者が入ってから話をひっくり返されたら、もっと嫌ですし。
      おっしゃるとおり、「今」だけを考えて、今できることをやるしかないのですね。
      人間にとっての一番のストレスは人間関係なんですものね。
      その通りだと思いました。

  3. おれんじ より:

    ここ数年ROMさせていただいてた同年配の田舎者の戯言ですが・・・
    そらはなさんは非常にアグレッシブなんですよ。
    お母さんは受動的。
    決して反対語ではないんですが、お二人ともマイペースな御様子で。
    これで引き取り同居とかならお母様も引いてくださると思われるのですがね。
    過去のことは、その時その時できることをやってきたことだから気になさらずに、落としどころをみつけて心穏やかに過ごされますように。

    • そらはな より:

      おれんじさんへ♪
      はじめまして。
      アグレッシブかぁ。たしかに、思いついたら即行動するほうだと思うので、そうなんでしょうね。
      母に合わせていくのは、なかなか大変ですが、どこかで「落としどころ」を見つけていかないとダメなんでしょうね。
      日々、勉強ですね。
      アドバイスありがとうございました。

  4. るり玉 より:

    そらはなさん、こんにちは。

    「母と向き合ってこなかった罰」と書かれたそらはなさん。
    そう、いつも「自分に非があったのでは」という思考になってしまう、
    その気持ち、とても理解できます。
    母の言うことは絶対、母は正しい、そう植え込まれた精神は、
    そう簡単にそこから抜け出すことはできない。
    「それは違うんじゃないか」という考えを持つ自分の方が悪いんじゃないか、
    だから自分の考えや思いを押し殺して母の思う通りの自分を演じてしまう。
    過去は過去として今に向き合おうと思うけれど、
    我慢するにも演じるにも若さと気力と体力が要るのかな、と思う。
    親が年老いて、私さえ我慢をしていれば平穏に親を見送ることができる、と思っていたけど、
    体調が悪くなって心が壊れかけて距離を置きました。
    気を張って我慢をするには、気力も体力も要るんだなぁと。
    私が母の意に反したことを口に出して距離を置いたことは、
    母からしたら全く理解できないことでしょうけど。
    ごめんなさい、私のことばかり話して。

    そらはなさんはお母さんのそばにいて、
    根気よく相談してひとつひとつ前に進めてらっしゃるのはすごいことです。
    造園パンフレット、私たちから見るととても魅力的ですよね。
    きれいに敷き詰められたレンガの小道、そのちょっとしたスペースに花壇があって、
    菜園は区切られたスペースにして。
    まずは雑草対策、週末園芸でもストレスにならないくらいのスペースだと楽しみが大きいですよね。
    この先年を取るばかりだし、それこそ気力と体力があるうちにリフォームをしたい、
    よその家のことはいいな、と言っても、自分の庭になるとそうはいかないお母さんには、
    そらはなさんの気持ちは理解できないだろうな。
    しれっとして業者に頼むか、今は諦めて待つか、
    せっかく今きれいに整え始めたお庭のこと、中途半端になるのは、
    そらはなさんとしてはうつうつとしてしまいますね。

    結局発展的なことは何も書けなくて長々とごめんなさい。
    お返事は要りませんからね(・∀・*)

    • そらはな より:

      るり玉さんへ♪
      いまだに母には逆らえない。
      それは、母にわかってほしい、認めてほしいという気持があるからなんだと思うんです。
      反対されてまで押し切る勇気もないし、結局子どもの頃も、今もなにも変わってないのだなぁ・・・。
      るり玉さんは、お母さまに対してとった行動は、正解だと思いますよ(ブログを読む限りの判断ですが)
      逆に、これまでよく付き合ってきたなぁと、その忍耐力がすごいと思いました。
      私も思い立ったらすぐに行動しちゃうタイプなので、もう少し息抜きをしながらゆっくりとやっていきたいと思いました。
      ただねー、自分の気力と体力がいつまで保てるか・・・それが心配なんですよねー。

  5. ルイコ より:

    こんにちは。
    お仕事もお持ちなのに、大変な庭仕事お疲れさまでした。

    私の父も亡くなって、八年が過ぎようとしています。
    始めの三年間、世間でいうように母も大変でした。
    長く連れ添った夫のいなくなった日常を認めるのに
    心身ともに疲れて、不安定で、生きていてもしょうがないと連発し、
    父を亡くして悲しい思いをしている私をさらに悲しませました。

    今はなんとか元気な母と娘、物言いや行動にカチンとくることが多々あります。
    でも、私だいぶ前に、母に公言しました。
    「その日が来たら、楽しかったー! といえるようにしよう」
    明るくさよならできるように、今を過ごしたいと思うのです。

    そらはなさんが庭仕事をがんばっているとき、庭におとうさまがいらして、
    「なにをそんなにムキになっているんだ。もう少しのんびりやって、おかあさんと
    お茶の一杯でも飲んでやってくれ」
    なんて優しく笑って見ていたような気がします。

    おかあさまは、まだ思い出の中に居たいから、おとうさまの姿が見える庭が
    急変するのを受け入れがたいのではないでしょうか。
    時期がくれば、庭に変化を起こすことはできますよ。

    暑いですから、まずは、クールダウン、クールダウン……。

    • そらはな より:

      ルイコさんへ♪
      「その日がきたら楽しかったーって言える」って、なんて素敵なことでしょう。
      私が望むことは、まさにポジティブな気持ちなんですよね。
      なのに母ときたら「もう死ぬだけだから」とか「死んだらやってくれ」とか、「死ぬ」話ばっかりで・・・。
      気持はわからなくもないのですが、それを言われた娘はどう思うかなんて、考えていないんでしょうね。
      だからせめて私は、自分が死ぬその日まで「明日はあそこの花壇に花を植えるぞ」なんて前向きでいたいなぁ・・・なんて思うようになりました。
      父はマイペースで庭仕事をしていましたから、ほんとに今の私の姿をみたら「なにを急いでいるんだ」って思ってるでしょうねぇ。
      クールダウンします!ありがとうございます。

  6. とも より:

    認知症の方のぐるぐる話にお付き合いするのは、とてもストレスが溜まりますよね。
    まして、対立する意見となると倍のエネルギーがいりますね。
    そらはなさんも頭の中では、認知症だから理解できないのは仕方ないということはわかってみえますよね。でも心がそれについていけないんですよね。
    初めは理解しながら会話できても、話しているうちに頭ごなしに否定されてきた幼い時の悔しさが、むくむくっと心の中に広がって余計に向き合うことが苦しいのでは?
    向き合ってこなかった罰と書いてみえましたが、幼い子供には自分の存在価値って、親によく思われたいという純粋な心ですよね。親は親で、いつまでも親という強い立場であろうとしますし。対等に向き合える親子って、なかなか無いと思いますよ。私も40代前半は、遅い反抗期でした。親の一言一言が癇に障り、トゲトゲしてました。
    そんな時は、幼い自分を俯瞰して、理不尽な毎日を良く頑張ったね。と、自分で自分を褒めました。今の自分を苦しまないで、これまでの自分を抱きしめてあげてください。
    工事も一気に進めると、お母様大荒れになってもいけないので、ご近所にスッキリしたねと褒められたとか、お母様の進言で上手くいったとかヨイショしながら、少しずつ進められてはいかがでしょう。目的は、ムカついても一芝居して、相手を良い気分にして達成してはいかがでしょうか?
    ムカつくけどね。笑

    • そらはな より:

      ともさんへ♪
      きっと私、母が認知症だとわかっていても、どこかで母に認めてもらいたいって気持ちもあるのだと思うのです。
      これは子どもの頃も、今も変わらないことなんだなぁ・・・って、今更ながら気が付いたことでした。
      本当は、母に聞きたいんですよ。
      なんであの時、あんな風な言い方したの?本当にそう思っていたの?って。
      そして私はこんな気持ちだったんだよって、母にわかってほしいんです。
      だけどそれは無理だろうなぁ・・・。
      ちょっと一呼吸いれたいと思います。
      いろいろあるね、ほんとに。

  7. バタール より:

    このブログのそらはなさんの記事や皆さんのコメントを読んで、母との関係で悩んでいる方が多いので救われた気持ちになります。

    そらはなさん、庭の具体的なイメージがあるにもかかわらず、それを進められないジレンマ、私も庭づくりをしてきたのでわかる気がします。

    お母様の気持ちや認知症である事、そらはなさんが後々後悔しない方法での着地点は何なのでしょうね‥。難しいですね。

    私は、お母様が「コンクリートを流す」というのが気になります。
    草が生えないようにする=コンクリートを流す

    母達の年代の人は そうなんでしょうね〜。
    そうじゃないんだけど‥と読んでて思ってしまいました^^;

    • そらはな より:

      バタールさんへ♪
      結局母と暮らしている限り、お互いのより近い着地点で折り合いをつけるしかないのですよね。
      だから私はせっせと自分の家の周りをきれいにして、母の実家のほうには手がまわらないので、それでいいのだ!と思うことにしました。
      たしかに!母にとって「草が生えない」=「コンクリート」なんでしょうね。
      頭の切り替えが昔からできない母でしたので、わかってもらえないのはしかたがないかなー・・・。

  8. ちかちか より:

    ご無沙汰です、そらはなさん。
    夫の母ならまた違うでしょうが、実母というのは難しいですね。
    私も強い母がいて、今日も実家で叱られてきました。母もいろいろ抱えているのでストレスで私に毒を吐きます。言い負かしたいのです。他に話す人がいないから仕方ないけど私は胸がムカムカします。
    行かなきゃいいのにね。
    でも、親がいるのはありがたいことです。
    ああ、皆さんのコメントが暖かいですね。
    私まで励まされそう。
    うちの庭は雑草だらけ。もう諦めてます。夫に涼しくなってから草刈機で刈ってもらいます。そらはなさん、焦らずのんびりやって下さい。

    • そらはな より:

      ちかちかさんへ♪
      「親がいるのはありがたいこと」って思える広い心が欲しいです。
      失ってから後悔することもわかっているのに、本当はもっと母と分かり合いたいと思っているのに。
      過去や未来を考えずに、今だけをみて、今できることをやっていこうと思いました。
      のんびりやっていこうと思います。

  9. Kizu-tuba より:

    コメント、初めまして
    Kizu-tuba と申します。
    いつもブログを読ませていただいてました~

    認知障害を持つ母 我が家も同じです
    ただ、我が家は、同居しようと準備していたのですが、色々あり、今はサービス付き高齢者住宅に母はお世話になっています。
    週に1~2度食事をしたり、たまに旅行にいったりします。
    そのあいだ、母とのやりとりで、同じことを何度も話したり、訳のわからない結論を言ったりと、いつも疲れてしまう私です。

    そらはなさんとお母様との会話を読んでいると、私と母との会話に重なりますし、その後のそらはなさんの想うこともとても良く解ります。
    会話をしているときは、今までの母と同じなので、一瞬認知障害があるのを忘れてしまいます。
    なかなか全部を受け入れるのは難しいですよね。
    諦めの気持ちに似ていますが、優しく接することを前提に母と接していきたいと思います。

    • そらはな より:

      Kizu-tubaさんへ♪
      はじめまして。
      認知症って酷な病気だと思います。
      いろいろなことがどんどん忘れていってしまい、それまでの母ではなくなっていくのですから、哀しいやら虚しいやらで。
      同時に接していると、イライラしてしまったりムッとしたりで、私の精神状態も不安定になるんんですよね。
      お母さま、施設に入居されているとのこと。
      なんだか一番理想的な形だなぁと思いました。
      友人が介護施設で働いているのですが、介護は(特に認知症は)家族でみるのは絶対無理だと話していました。
      これから先のことを考えると、どうなっていくんだろうと不安はありますが、今できることをやるだけなんですよね。
      私も毎日穏やかに接していきたいです。

  10. 青海 より:

    そらはなさん、初めまして。

    そらはなさんと同級生、80歳の母のいる青海と言います。
    十数年前に父を亡くし、母は一人暮らし。年々、衰えていく心身に母自身も歯がゆい思いをしていると思います。

    なにより、母と私の性格が正反対で、いろんな場面で意見が対立することが多々あり・・・
    私自身、更年期真っ只中で、母との付き合い方に限界を感じているこの数年なのです。

    これから、じっくり過去の記事を読ませて頂きます。
    私と同じように、実の母親との関係に悩んでいる方がいらっしゃること、心強く感じています。
    このブログと出会わせてもらえて良かった・・・そんな思いです^^

    • そらはな より:

      青梅さんへ♪
      はじめまして。
      お父様、早くに亡くなったのですね。
      そしてお母さまが一人暮らしということは、まだお元気なのですよね。
      私たちの親世代というのは、子どもは親に従って当たり前という考えの方が多いように思います。
      そしてそれに違和感を覚えながら育ち、親と子どもは別の人格をもった個々の人間だということに気が付くのは、私たち子どものほうが先のような気がします。
      ものすごく反発しながらも、それでも親には育ててもらった恩があるので、突き放すこともできず、それが葛藤となったりしています。
      だんだん年老いていくのは当たり前のことであり、それはしかたがないと思うのですが、うちの母はいまだに口は達者で・・・(-_-;)
      それでも昔に比べたらだいぶ丸くなってきたのですけどね・・・。
      このブログは、自分の気持ちを整理するためにも書いているので、何かの参考になれば幸いです(#^^#)

  11. 乙女座の乙女 より:

    実母対娘(私)の関係、50歳すぎても悩んでいるのは私だけでなかったんですね。
    そらはなさんのブログ、そらはなさんファンのコメント、私のこれからの実母に対しての接し方、参考・勉強になります。

    • そらはな より:

      乙女座の乙女さんへ♪
      私の友人が話していたのですが、母親というのは娘に対して「負けまい」とする敵対心を持つそうで・・・。
      ただ、私自身は自分の娘に対してそんな風に思ったことはないので( ;∀;)、これから歳をとるとそうなっていくのか、それとも生きてきた時代が違うのか・・・。
      きっと後者だと思いたい・・・。

  12. あおい より:

    臨床心理士さんは、異性の子供のほうが説得しやすい、といわれました。
    のでうちの母は弟がそのような話をします
    でも、もう認知症ですから、以前の母はいません。居るのは別の人。気に入らないと、死ねといってきます。
    認知症以外に性格の先鋭化ありますし、変化に大変弱いのも高齢者特徴ですもんね。
    にっこり笑って粛々と進めるか、あきらめるか。
    家族には一番きつくあたってくるので、大変ですね。
    あと年代的に母親は娘で自己実現してた世代ですから、そのあたりや
    おうちによっては、機能不全家族で共依存症、かつ、アダルトチルドレンのおばあちゃんが育てたりすると、似たような娘が育ったり。
    私はかつて共依存の治療して、いまはインナーチャイルドの手当てしていて、
    ようやく、できないことはできない、なんでもかんでもは頑張れない、泣かずに歯をくいしばる、のはやめました。
    ので、母親の介護も、母への情愛も、できる範囲で、としています。
    なかなか自宅で見てると難しいですけどね。
    そらはなさんはすごく頑張ってますよ。
    だから少しご自分にもやさしくしてあげてください。

    • そらはな より:

      あおいさんへ♪
      私の友人のお母さんは、若い頃はけっこうきつい性格だったそうですが、認知症になってからはものすごく穏やかになったそうで・・・。
      この辺が脳の不思議なんでしょうねー。友人も、「自分も歳をとったら母のようにボケたい」なんて言ってて。
      自分ではもうコントロールできないのが認知症ですから、私自身も自分がどうなっていくのか怖いなぁと思います。
      日々、穏やかに穏やかに暮らしてきたいのですけどねー。
      あいおさんがおっしゃる通り、母だから、身内だからと、できないものまで頑張る必要はないのですよね。
      できる範囲で割り切ってやっていきたいと思います。

  13. T M ♪ より:

    罰と仰るけれど、それは断じて違います。
    ただ重ねてきた人生の選択の結果を、誰しも日々享受していますよね。それだけのことなんです。
    だとしたら、できることはただ、今このときどんな選択をなさるか、ですよね。
    その一助になれればと
    似た痛みを抱えている私ですが、他人の目で眺めて思ったことを書いてみます。
    つまり、母に受け容れてもらいたい、わかってもらいたい…少なくともわかろうと努めてもらいたいその渇望の痛み、です。

    庭のこと、伴侶を亡くして間もないお母様はまだそのままにしておきたい、
    実際管理をなさる空花さんは限界を超えた負担を軽減して尚且つ見目良さを保ちたい、そのぶつかり合いですね。
    自分自身が管理を全くできなくて娘夫婦に委ねているなら、そこは折れて譲歩してもらいたいところですが…
    ◯もうそれが理解できない
    これは不可抗力ですね…
    ◯子が親に尽くすのは当たり前という気持ち ご自分は母親に怒っていたとのことでしたが…
    ◯自分は足が悪いから庭仕事しなくて当然という気持ち
    だからこそ、お父さんは一人で…と空花さんに当てつけるように仰るのですよね?
    ◯庭は放っとけばいい
    もちろん、そういうわけにはいかないでしょう、社会に生きている身としては。お母様を放っておけないのと同じこと。自分さえよきゃいいでは通らない。
    ◯「私が死んだら…」というお決まりのセリフ
    それは搾取ですよ。
    自分が今現在管理維持できているならそう言えばいいが、娘に全部おっ被せている身で そう宣う滑稽さ。
    そして そう言っとけば娘はぐうの音も出ないという切り札。そういう意図とも私には思えます。
    巧妙なコントロールです。
    空花さんも薄々感じてらっしゃるから感情を波立たせられてしまうのではないですか?

    このように見てきて
    表面上は庭の問題であっても、背景にはお母様の人生の選択の結果がしっかり積み上がっているようです。
    譲歩なさる余地は見えません。

    …それでも仰り続けらるでしょうか?
    管理している私に任せて。
    私のこと信じてよ!
    責任持って生きているみんなが居心地いい庭にするから。
    私がお母さんに不利益になることをするわけがないじゃん?!
    わざわざ秋田に戻ってきてお世話してるのに!
    私にお父さんと同じことができるわけないじゃん。
    家事を受け持ち子育てとお母さんの世話までやって、それでも仕事もしなきゃこの先 生活していけないんだよ?
    …って。

    前ブログの高速バスの座席交換の件、先日のご友人の観劇ツアーお断りの件、
    ひょっとして空花さんは「断る」ことにものすごく苦手意識がありその裏返しで「断られる」ことにも強い感情が湧き起こるのかも、と思っていました。
    それは、母の意を「断る」ことは許されなかった子ども時代からの、思い癖 なのかもしれないなーと。
    私自身、人様の期待や思惑に添えないととても辛くなる、精神的貢ぎ体質です。
    でも…そんな呪縛から自由になっていいんですよ、私たち。
    意志を通したっていいんです。
    それが他者の意志とぶつかる時は、理をもって誠実に話し合って折り合えばいいんですよ。本来は。
    でもね、それが〝母〟に関しては多分もう無理なんです…。認知症がなくても、多分。
    私は私のやり方で呪縛脱出に取り組んでいます。空花さんもよい方法考え方が見つかりますように。

    キリスト教式結婚には多くの人が知っている有名な誓いの言葉がありますよね…
    「健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り、真心を尽くすことを誓いますか?」
    コレをまず自分自身に対して誓いましょうと仰っている方がいらして、すごく腑に落ちました。
    私たちはもっと自分を尊重していい。
    そして 人は誰しも自分を尊重するのが当然とわかっていれば、折り合う知恵を出し合っていけると思うの。
    母がどうであっても、私たちはそういった生き方を模索していきましょうよ。

    お母様のことは思い出の中に置いて、弱者に対する人道的な対応だけは心がければいいのではありませんか。
    お母様のこと好きにはならなくていいんですよ、責任持って世話をすることが 十二分に愛情の証になりますよ。

    • そらはな より:

      TM♪さんへ♪
      すごいー。TM♪さんってカウンセラーみたい。
      私が潜在的に感じている部分で、表面には出していないことや気づいていないことを、こんなにも分析していただいて。
      もうね、すべてストンと気持ちが楽になりました。
      「母のことは好きにならなくていい」って言葉で。
      それでも責任は持ちたい。それでいいんですよね。