母の顔に出来た老人性のイボ。
色も薄く小さいのでほとんどわからないのですが、毎日そこに触れて気になる母は、毎日毎日「病院へはいつ行くのか?」と言いにきました。
今日は、↑こちらのお話の続き・・・です。
ようやく皮膚科受診をした
母の顔に老人性のイボができたのは、今回で3度目です。
前回は、週に1度の通院を4回したので、イボが取れるまで1カ月を要しました。
おそらく今回だって何度か通わなければならないはずです。
なので、私の週に1度の定休日である平日の特定曜日にしか母を病院へは連れて行くことができません。
受診するまで母は、毎日イボの話を繰り返しました。
毎回初めて私に話すように
「ちょっとここ(イボ)を見てくれない?」
「病院へ行きたい」
「いつ行く?」
と訴え、私がその都度「〇月△日、■曜日に病院へ行く」と説明すると、その時は納得するのですが、5分後には忘れてしまいます。
毎日、無限ループの話をする母を、ようやく皮膚科へ連れて行くことができたのは、5日後のことでした。
老人性のイボは液体窒素で処置
先生は、母のイボを拡大鏡で観察したのち、「これも悪さをするものではないので大丈夫ですよ」と笑顔で言い「取りますか?」と聞いてくださいました。
3度目ともなれば、先生も母のことをよくわかってくださっているようで、すぐさま液体窒素で処置をしてくれました。
1分もかからない簡単な処置です。
痛みもほとんどないし、患部にガーゼなどを当てるわけでもないので、帰りの車の中で母はすでに病院での出来事を忘れてしまいます。
「また来週病院へ行くよ」と、母へ言ってみました。
言ったところで、母がそれを覚えているわけもなく、無駄なことだとわかっていますが、それでも母との会話のキャッチボールを期待してしまう私。
「今、どこに行ってきたんだっけ?」と母。
「皮膚科だよ」と私。
その日の夜も母は私に言いにきました。
「皮膚科にはいったいいつ行くの?」と。
現状が変わっていないので忘れる
皮膚科を受診したら母の不安は軽減でき、毎日何度も繰り返される話も少しは収まるかと思ったのですが、まったく変わりませんでした。
理由は、母の顔にイボがまだあるから。
現状が変わっていないため、母は皮膚科へ行ったことすら覚えていないのです。
だから毎日「いつ病院へ行くのか」と言いにきます。
それでも私も同じ答えを毎回母へ伝えました。
怒らずヒョウヒョウと母へ返すことができるようになった私も、少しは進化したというものです。
膝が崩れ落ちるとはまさにこのこと
1週間後。
今日は2回目の皮膚科受診の日。
朝、母へ病院へ行く日であることを伝えると
「何時に行く?」と聞いてきたので、「9時半」と答えました。
それから私は、家の中の諸々の用事を済ませ、自分の身支度を整え、今日1日の段取りを考えてから、母の部屋へ迎えに行きました。
「病院へ行くよー」と母へ声をかけると、ソファーに座ったままの母が私を見てキョトンとしています。
あんなに皮膚科へ行くことを熱望していたのに、いざ行く時になると覚えていないんかいっ!…と、心の中でツッコみを入れながら、母へは「イボ取りに行くんでしょ?」と声に出して問いました。
「あぁ・・・」と言いながら立ち上がる母。
その母の顔を見ると、
イボがない!!!
今朝はたしかにあったイボが、いつの間にか取れていたのです。
「イボ、取れてるじゃんっ!!!」
思わず大声で叫んでしまった私。
すると母が答えました。
「私もおかしいな?と思ったんだよ。イボがないのに、アンタがなんで病院へ行こうと言っているのか不思議だったんだよ」・・・って。
一気に全身の力が抜けて、膝から崩れ落ちるとは、まさにこのことだと思いました。
イボが取れたんなら、早く言わんかいっ!
毎日毎日病院へ連れて行けとせっついて、やっと行く日になったらイボが無いのかーいっ!!!
・・・というのは、私の心の叫びです。
鼻から息を思いっきり吐きだして
「よかったね、イボが取れて」と母に伝えるのが精一杯でした。
気持ちの切り替え方
認知症の母と接していると、大いにストレスがたまります。
何度も同じ話をする母に対して、私の行き場のないイライラ感やモヤモヤ感は、どう消化したらいいのか悩んだりもします。
しかし、母の言動にはちゃんとした理由があるわけで、同じ話を何度も繰り返すのも、何らかの不安を抱えているからなのでしょう。
同じ話を何度もされて嫌になるのは「私の気持ち」であって、決して母が私を困らせようとしてやっているわけではないのです。
母は単に不安を訴えているに過ぎず、認知症ゆえにすぐに忘れてしまうのですから、これはもうしかたがないことと、切り離すしかありません。
「私の気持ち」と「母の気持ち」を同じ視点で考えるからダメなんですよね。
視点を変えてみれば「母はまだ自分の不安を私に訴えることができる」ということになります。
母は認知症です。
しかし、まだ残された能力はたくさんあります。
「まだこれができる」と言う風に、私自身の気持ちを切り替えて、一歩引いて自分を見つめることができるようになりたいです。
コメント
お母様に対して
その視点を変えるワザを会得したら
多様性の時代にコワイものなし!になれそうですね。
もしそうできたら、お母様からのプレゼントになりますね!
前のブログからずっと読ませてもらっていて、ブログの範囲のことを知っているに過ぎないのですが
これからエールのつもりで書きます。
もしもお気に障ったら…どうぞご放念ください。
そらはなさんはずっとお母様から抑圧された気持ちでお過ごしになって、完全に抜けきってはいないようにお見受けします。「今でも母が怖い」って当たり前のことではないと思うのです。
曲がらずにお育ちになり、
心が広くて温かく、
何よりお子様に対して同じ轍を踏んでいない生き方、すばらしいです!
それはご自身が素直で穏やかで受容性のある気質でらっしゃるのと、
お父様はお母様とそらはなさんの間を取りなすことは出来なかったとしても、
お父様ご自身が温かく思いやりのあるお人柄で、そらはなさんに親しく接していたこと、
これらが功を奏しているのではないかと感じました。
そらはなさん、よくなさっています!ご立派ですよ!
お母様ご自身は、認知症気味に老いた親を叱りつける姿を幼いそらはなさんに見せていたのに、
今ご自身は思慮を持ってサポートしてもらっているのだから、お幸せ…というかトクしてますよね。
今なさっていることは、充分過ぎるほど人道的に適って、家族として手を差し伸べているのだから
あとはもうそらはなさんご自身を労って、気持ちを守るようにするくらいでちょうどいいバランスの気がします。
「思いやり」の部分は、気が向いてそんな気になったらしてもいいし、
思いやりがどうしても出てこなかったらそれは仕方ないと思っていいんじゃないかな。「思いやり」を無理強いされたらたまったものではありません。
歳をとるうち誰しも理性が弱まり抑えきれずに本質が出やすくなるらしい。
ここ、考えどころですね。「本質」。
子どもを「自分のもの」のように思い我よしとばかり振る舞い、感謝もない人を見るとやるせなくなります。
自分が自分を大事なように、相手もまた相手自身が大事なのだと、忘れないでいたいです。
匿名さんへ♪
ありがたくて、何度もコメントを読み返しました。
私の心の内を代弁してくれているようで、涙が出そうでした。
「今ご自身は思慮を持ってサポートしてもらっているのだから、お幸せ…というかトクしてますよね。」
ここ、私も実はずーっとそう思っていて、なんだか釈然としなくて、でもそんなことは誰にも言えなくて、しまい込んでいたことです。
だから、そう思っていいんだ!って、なんだかスッキリしました。
「「思いやり」の部分は、気が向いてそんな気になったらしてもいいし、
思いやりがどうしても出てこなかったらそれは仕方ないと思っていいんじゃないかな。」
これも、子どもは親のことを常に思いやりをもって接しなければならない・・・という強迫観念?というか、そうしなければ薄情者だと思われそうで、だけど時にそれができずにモヤモヤしていたことだったので、ストンと心の中に落ちたというか、それでいいんだと認めてもらったようで、うれしかったです。
そして、
「自分が自分を大事なように、相手もまた相手自身が大事なのだと、忘れないでいたいです。」
これが、すべての人と接するときの心得なんだと思いました。
たとえ親であっても・・・ね。
自分自身が一番でいいんだ。
だけども、母も自分が一番なんだ。
そう思うと、自分の視点、母の視点で、一歩引いて物事を見られそうです。
温かいエールをありがとうございました。
そらはなさん、お久しぶりです! でぶねこです^^
今回と前回のブログを読んで、「我が家もまったく同じ~~~!!!」と叫んでしまいそうでしたわ(笑
何度も何度も同じことを聞くというのは、「不安だから」につきるのでしょうね。。。
私は最近、同じことを繰り返すのは、さすがに自分の気持ちがつらすぎて、自分自身を守るために、「紙に書いてテーブルの上に置く」ということをするようにしました。
部屋と食卓のそれぞれのテーブルに同じことを書いて置いておくと、5分後には忘れてしまっても、それを見れば不安が消えるのだと、気が付いたんです。
そうすれば、自分もイラっとしなくなる(イラっとする自分にも嫌気がさしますよね^^;)
この方法を試した結果、ほとんど聞かれなくなったんですよ~~♪
ちなみに、我が家の場合は「今日は何曜日、明日はどこへ何時に行くの?」です。
これならば、今日は何曜日でどこどこへ何時、明日は何曜日でどこどこへ何時と書けばいいのですよね。そして何時には家をでるから何時に起きたり、ごはんを食べたり、準備をすればいいか、5分後には忘れても家族に聞くこともなく、義母もストレスは減るのだと思います。
こういうことって、実際に体験した人でないとわからないと思うので、是非試してみてね♪
効果があるといいなあ~^^
でぶねこさんへ♪
あー!そうですよね。
紙に書く!
私が言ったことを、母は自分のカレンダーにメモするので、それで安心していたところがありました。
でも、先の予定のところなんて見ないんですよねー。
だから、何度も同じことを聞いてくる・・・ということになるんでしょうね。
私も、今度母が何度も同じことを言ってきたら、その不安の種を見つけて、「紙に書いてテーブルの上に置く」ようにします。
ただし、以前にもそうやったら、いつのまにかテーブルの上の紙を引き出しにしまいこんでいて(^-^;
「ヘルパーさんが来ると、見栄えが悪いから」なんてことを言うのですよね。
そういう体裁を気にするところは、しっかりしてるんですよねぇ・・・。
アドバイス、ありがとうございます。
私もいろいろやってみます!(^^)!
まあ! そらはなさんも「紙に書いて」いらしたんですね、それは大変失礼しました^^;
「見栄え」や「体裁」を気にされる、それもありますね。。。
人はそれぞれですから、一概には言えませんよね。
我が家では、トイレやドアに張り紙をしています。
以前、トイレが詰まって業者を呼び、大変高い授業料を払いました(泣
買い物に出かける際は、きちんと書いて出かけることも必要で、以前は叔母に電話をかけてご心配をおかけすることもありました。。。
もしかすると、「イボ」に関しては、「テーブル」ではなく、「鏡」の周りに置くのがベストなのかもしれませんね、洗面所とか鏡台とかトイレとか。。。
でぶねこさんへ♪
!!!
書いた紙を鏡の前に貼る!!!
そんなことまで、考えが及びませんでしたー!
そうですよね。
状況に応じて、どんどん進化せねば。
これはぜひともやってみたい。
一番効果的な場所を見つけて、次なる不安の時には対処してみます!(^^)!
そらはな さん、
こんにちは。
れいもあ と言います。
たまにお邪魔して拝読し、温かい気持ちにさせて頂いてます。
寛容で、優しさと愛情に満ちあふれたコミュニケーションですね。
私も、そらはなさんのような対応が出来るよう、
気持ちにゆとりを持って、生きていこうと思います。
また、お邪魔します!
楽しいブログを楽しみにしています!
れいもあさんへ♪
こんにちは(#^^#)
いやはや・・・(^-^;自分のイライラをどうにかしようと気持ちの整理をするためにブログに書き留めているので、なんだかお恥ずかしい。
コメントありがとうございます。励みになりました。
そらはなさん、やさしいなぁと思います。
何とかしてあげたい気持ちがあるから、お母様の言うことを理解しようとするんですよね。
どうでもいいと思っていたら、こんなにお世話をしないです。
自分が認知症になったら、どうなるのか恐怖です。
今まで生きてきた心掛けが出るとかいう話もありますが、医学的にはそうではなくて脳のどこが衰えてしまうかによって症状変わるようですね。
前頭葉が衰えたら制御機能がなく、怒ってばかりになりそうな気がします。
周りの方に愚痴などこぼしつつ、真に受け過ぎず軽くあしらっても無事に済むことはまずご自分の心を大切にしてくださいね。
私もこれからについて考えていこうと思いました。
同い年のまきさんへ♪
自分の母への気持ちが、義務感からなのか、同情からなのか、よくわかっていません。
やさしさ・・・という一言では片付けられないいろんな思いがありますが、それでも自分の行動に後悔しないようにしたいと思っています。
自分が認知症になったら・・・怖いですよねぇ・・・。
制御機能がなくなるなんて・・・((+_+))
どんな風に歳をとっていくのかわかりませんが、人生なるようになる・・・かな・・・とも思っています。
そらはなさん、こんばんは。
長らくご無沙汰しています。ともです。
うちの母も全く同じ症状です。イラッとくる気持ち。よ〜くわかります。
母は大学病院の歯科に一人で通院しています。それが母の心の核になってるようなので、心配ですが一人で行っています。
たぶん、そのことで頭がいっぱいで、忘れることに不安があって、何度も同じ話をします。怒っても無駄なことはわかっていますが、イライラします。
最近は、お菓子や果物の過食が心配です。さっき食べたことを忘れてしまうのか、目に付くと食べて一度にたくさん食べてしまいます。塩分や糖分の取り過ぎが心配です。
あとは、作話です。会っても無い人に会った、かかってきていないのに電話で話したと。初めは信じてしまいまいた。後でおかしいとわかった時はショックでした。
離れている私より、そばにいる父のストレスも想像できます。
父には治らない病気だから、おかしな事を苦にするのではなく、笑って楽しもうと話しています。
何でも忘れる母ですが、私と私の夫、息子のことは忘れずに、元気か?と気遣ってくれます。それだけでも救われます。ずっと家族のことだけは覚えていて欲しいです。
認知症は切ない病ですね。
お互いに長くなる介護に疲れることなく、自分の人生も楽しみましょうね。
ともさんへ♪
こんにちは(#^^#)
お互い、母の状態をあれこれ心配するようになってから5年以上?も経つのですねー。
それでも、ともさんのお母様は一人で通院できるのですから、すごいですよね。
それに、お孫さんのことも気遣えるなんて、まだまだ全然大丈夫ですよね。
うちの母は、もう孫のことも覚えていないんじゃないかなぁ。
孫たちのことを「どうしてる?」なんて言葉は、もう2~3年聞いてないです。
親も大事だけれど、自分はもっと大事。
本当に自分の人生を楽しみたいです。
そうですね。もう5年も経つのですね。母と遊びに行った時、あれ?と感じた時の写真を見ると、日付が2017年頃でした。
私達、頑張ってますね。笑
自宅で生活できてると思うと、進行はゆっくりですね。
自分も5年分年を重ねたと思うと、この先を憂いてしまいます。
母の症状が進んだ時に、施設に入所させるのがいいか?
訪問介護や看護を受けながら自宅でいることがいいのか?
両親にとって、一番幸せな晩年を迎える為にはどうすればいいのか?
結論はなるようにしかならない!と開き直りながら悩んでいます。
ともさんへ♪
そうなんです、そーなんです!
母が歳をとるのと同じく、私も歳をとっているのです。
私自身が、この先大丈夫か?とさえ思ってしまいます。
「開き直ること」って大事ですよね。
悩んでも考えても、自分のことではなく母のことなのですから、どうしようもない。
だからなるようにしかならない・・・ですね。