今年93歳になった母に「何歳になったの?」と聞くと、決まって「86歳」と答えます。
母の中の時間は、どうやら7年前で止まってしまったようです。
単なる物忘れだと思い込もうとしていた
思い返せば、父が急逝したのは母が84歳のとき。
それ以前から少しずつ、母の言動に「おかしいな」と感じることはありましたが、父が自然にカバーしてくれていたのでしょう。
家族としても、「年齢なりの物忘れ」と思い込み、認知症を疑うことすらしていませんでした。
「泥棒」と呼ばれた日
父が亡くなると、母の様子は一気に変わりました。
毎日のように不可解な言動が続き、私は母に振り回される日々。
正直、家に帰るのが憂うつになっていました。
ある日、母から投げかけられた言葉。
「あんたは、財産を狙う泥棒だ!」
心の底からショックで、母のことが嫌になった瞬間でした。
けれど後に、それが“病気のせい”だと理解できたことが、私の気持ちを少しずつ変えていきました。
父が亡くなった翌月、私は介護認定の申請を行いました。
接し方を学んで、母も私も変わった
それから2年ほどの間に、私は認知症について本を読みあさり、自分なりに理解しようと努力しました。
そして、「母にどう接すればよいのか」が少しずつわかってきました。
怒らせない、否定しない、不安にさせない。
「正しさ」より「安心」を優先するように心がけました。
そうすることで、私のストレスも減り、母も穏やかになっていきました。
記憶が抜け落ちても、感情は残っている──そんなふうに感じられるようになったのは、この頃からです。
次男との面会で見えた「母らしさ」
先日、次男と一緒に母の面会に行きました。
かつてはとても可愛がっていた孫のことも、今の母はもうわかりません。
でも、「覚えてるよ」と言いたげな微笑みと、精一杯の気遣いが伝わってきました。
たぶん本当はわかっていない。
それでも優しさだけは残っている。
そう感じました。
その中で、思わず驚いたひとことがありました。
次男に対して 「何歳になったの?」
と母が尋ね、次男が年齢を答えると──
「もういい人みつけて結婚しなきゃならない年じゃないの!」
昔の母らしい口ぶりに、思わず私も次男も笑ってしまいました。
また、長男の家に生まれた赤ちゃんの写真を見せると、
「じゃあ、ひ孫になるんだね」
と答えた母。
家族の顔や名前はわからなくなっても、慣習的な言葉や人生の節目に関する記憶はしっかり残っている。
それがなんだか不思議で、少しだけ嬉しい瞬間でした。
記憶がなくても、心は生きている
最近では、父の名前を出しても「知らない」と言います。
何十年も連れ添った夫のことさえ、思い出せない。
それでも、日々世話をしてくれている施設のスタッフのことすら認識していない現実を見ると、「記憶」というのは、少しずつ、そしてやがてすべてを手放していくのだと痛感します。
「今この瞬間」が穏やかであること
帰り道、次男と話しました。
「認知症って、記憶がすべてなくなっていく悲しい病気だと思ってたけど──
でも、今が安心で、安全で、快適なら、きっと不安や寂しさもなくて、むしろ幸せって言えるのかもしれないね」
母の記憶は、「86歳」で止まったまま。
でもその分、過去の悲しみや後悔に苦しむこともないのかもしれません。
今この瞬間、目の前の会話に笑い、穏やかでいられるなら── それこそが、母にとっての“幸せ”なのかもしれない。
そう思いました。
おわりに
私たちは、「認知症になりたくない」「記憶を失いたくない」と思っています。
でもそれは、もしかすると周囲の人の想いなのかもしれません。
本人にとっては、過去の苦しみや悲しみを忘れ、不安も焦りもなく、穏やかな時間の中で生きていることが、ほんとうの幸せなのかもしれない、と。
もちろん、そう思えるまでには時間がかかりましたし、いまもなお、心がざわつくことはあります。
でも、母が笑っている姿を見ていると、「記憶」よりも「感情」が残る認知症という病と、家族の私たちがどう向き合うかが大切なのだと、しみじみ感じています。


コメント
そらはなさん
なかなかコメントを残せませんが、変わらずいつも読ませていただいてます。お孫さんとの初対面もおめでとうございます♪
お母さまも穏やかな日々を送られているのですね。これまでには、そらはなさんがたくさん悩んでこられた日々もある…と今ならよく分かります。
私の母は、認知症ではありませんが、「疾病利得」という状態で、1日ずっと椅子に座って何もしない毎日です。毎週末、私は介護をしに帰っていますが、周囲の親戚や訪問看護の方に「娘は私に対してひどい」「私の気持ちを全く分かってない」と話しているそうです。それを知ってから、「母に恩返ししなくては」でも「母と距離をおきたい」という複雑な苦しさを抱えるようになりました。ずっと尊敬・感謝してきた母ですが、「娘のことは全て分かっている」という自信があるため、これまでも時々私に向けられる無神経な言動が嫌だな…と感じていたことがありました。こういう状態になると、そのちょっとした嫌悪感が徐々に大きくなっていき、母娘だからこその難しさが身に沁みています。そらはなさんのように、少しずつ気持ちを整理しながら、今できることに目を向けていこうと思います。
さくらゆさんへ
お気持ち、とってもよくわかります。
1度抱いた嫌悪感は、なくなることはありませんでした、私の場合。
それでも、今は施設で穏やかに暮らしている母のことは、距離を置いてるからこそ、私もやさしく穏やかに対応できるのだと思います。
母と娘という女同士の関係は、とても難しいといいますよね。
私も、娘と仲良くやっていけるよう、適度な距離感を持って接しようと思っています。
さくらゆさんは、毎週ご実家に行かれて、本当にすごいことだと思いますよ。
お母様にも、娘さんのやさしさが伝わることを祈っています。