認知症の母が覚えていたのは家族ではなく風景だった|記憶の不思議と見守る切なさ

人の記憶とは、本当に不思議なものです。
認知症になっても、母と深く関わった人の記憶は最後まで残るものだと思っていました。

けれど実際に母が覚えていたのは、私たち家族ではなく、子どもの頃に暮らした町の風景でした。

グループホームで暮らす母との再会

先日、グループホームで暮らす母に会いに行ってきました。

面会のたびに感じるのは、母が少しずつ“今”を積み重ねて生きているということ。

母はもう、私のことを思い出せません。
名前を告げても、「どこかで聞いたことのある名前ね」と、穏やかに微笑むだけです。

娘である私の存在は、記憶の引き出しのどこかに確かにあるはず。
けれどその引き出しは、固く閉じたままになっています。

それでも母の口からは、孫たちの名前が何度も出てきます。

思えば、認知症が進み始めた頃、母は孫の名前を忘れまいと、何度も何度も口にしていました。

その音の響きだけが、今も母の心の奥にやさしく残っているのでしょう。

覚えているのは、子どもの頃の風景

母は今の暮らしをとても気に入っていて、「ここが私の家なのよ」と言います。
けれど、かつての家のことを尋ねても、「まったくわからない」と首をかしげます。

それでも、子どもの頃に暮らした実家の話になると、表情がぱっと明るくなります。

「隣は〇〇旅館で、その隣が△△医院。近くに□□パン屋もあったの」
母はまるで、そこを今日も歩いてきたかのように、生き生きと話すのです。

人は社会の中で、人との関わりを通して生きています。
家族や友人、近所の人——私たちは誰かとつながることで安心を得ています。

けれど母は、認知症によって、そのつながりをひとつずつ手放していきました。

それでも不思議と、母の表情はどこか穏やかで幸せそうに見えます。

家族の記憶は遠ざかっても、幼い日の風景だけは、鮮やかに心に残っている。
それが、母の中に今も息づく“原風景”なのでしょう。

「あの世に行ったんじゃない?」——母の穏やかな笑み

面会のたびに、父のことを尋ねます。
「お父さんはどうしてる?」と聞くと、母は笑って答えます。

「最近見てないから、あの世に行ったんじゃない?」

冗談なのか本気なのか、わかりません。
でもその穏やかな笑みに、私はなぜか救われるのです。

母の中では、きっと父もどこかで穏やかに生きている——
そんなふうに思えたからです。

忘れることは、悲しいことばかりではない

母はいま、温かい部屋で暮らしています。
食事を用意してもらい、お風呂に入り、髪を整えてもらう。
職員の方々にやさしく見守られながら、穏やかな日々を送っています。

認知症は、やがて家族や人間関係さえも忘れていく病です。
残っているのは、子どもの頃の景色や、懐かしい匂い、遠い記憶の断片。

けれど、人の悩みの多くは“人間関係”から生まれるとも言われます。
だとすれば、母はいま、何のしがらみもなく、心の底から穏やかに生きているのかもしれません。

忘れることは、確かに悲しい。
でもその先に、静かな幸せがあるのだとしたら——
見守る側の私の心も、少しだけ救われます。

面会を終えて

面会を終えて外に出ると、冷たい風が頬をかすめました。

グループホームのあたたかな灯りを振り返りながら、
「母はいま、きっと幸せなんだ」と静かに思いました。

記憶の奥に残るやさしさと、いまを穏やかに生きる母の姿。
その両方が、私の胸の中であたたかく揺れ続けています。

そして私もまた、母のように——
“いま”という時間を大切に生きていこう。
空を見上げながら、そんなことを静かに思いました。

 

 

母が認知症だと確信したのは9年前⬇️

母に「泥棒」と言われた日|相続手続きで気づいた認知症のサイン
抑えようとしても込み上げる嗚咽は、父が亡くなったときとはまったく違うものでした。悔しさ、悲しさ、情けなさ——それらがぐち...

 

 

 

コメント