今年のゴールデンウィークはほぼ好天に恵まれ、気持ちよく過ごすことができました。
休みの間の大半を過ごした場所は、庭。
木が生い茂り、雑草がワサワサ生えていて、私にとっては手に負えない嫌な場所。
その嫌な場所に、今年はどっぷりつかってみようと思いました。
そして、庭をせっせと片付けて、きれいにしたことで、いろんなことが見えてきました。
庭の手入れをするということ
「庭を手入れする」と簡単に言いますが、実は私はこれまでまったく「手」を「入れて」なかったことに気が付きました。
例えば、タチアオイの周りにはいろんな雑草が生えていて、これでは大切に育てたいのか、とりあえず今年も勝手に生えてきたのだから、そのままにしておくか・・・というのでは、花に対する感情が全然ちがうのですよね。
タチアオイを引き立たせるためには、タチアオイの下に「手」を「入れて」、そこの雑草を「手」で取り除かなければなりません。
タチアオイを傷つけないように、大切に「手」を添えての草取り。
雑草がきれいに取り除かれると、なんとまあタチアオイの生き生きした姿があらわになり、タチアオイに対して愛情が芽生えるのですよ。
そうだったんだー。花を愛でるって、自分が「手」を「入れて」大切に育てたからこそ芽生える感情なんですよね。
公園に咲く花をみるのとはまたちがった感情で、庭を眺めるようになるんです。
なんかワサワサといろんなものが生えていて、雑然としています。
増えすぎた水仙を間引きし、落ち葉を片付けて雑草を取り除いたら、すずらんがあることに気が付きました。
自然のままに草木が生えるのが美しいと感じるのは、大自然の中の山とか沼とか草原。
でも、庭はちがうんです。
「手」を「入れて」、「手」を「加え」ないと、美しさは保てないのだ・・・ということに気が付いたのです。
だけど、「美しい」と感じるのは、人それぞれの感性によってちがうものなんでしょうね。
父は、自然のままの庭を目指したのかな。
落ち葉が積もって、やがて腐って土に返る。それが自然の美しさだと思っていたのかもしれません。
でも、私はこの庭に「手」を「入れて」いきたいと思いました。
気持ちの切り替え
昨年父が急逝し、残された庭の管理をいったいどうしたらよいのか、当時は途方に暮れました。
だって、庭のことに関して、私はそれまでほとんどノータッチでしたから。
夫が、片手間に畑にいろんなものを植えてはいましたが、それだって中途半端。私も周囲の草取りはちょいちょいしていましたが、それだって中途半端。
なにもかも中途半端な状態で、それでもどんどん生えてくる雑草に、ほとほと嫌気がさしていました。
広すぎる庭の一部にコンクリートを流して駐車場にしてしまおうか。木々をみんな伐採して、一面芝生にしてしまおうか。昨年の私は、そんなことばかり考えていました。
あれから1年が過ぎ、また新たな季節がやってきました。
庭の木々が一斉に新芽を出しました。
何かを植えたり育てたりする前に、まずはこの雑然とした庭の片づけから始めよう。そこから、今年はスタートしました。
気持の切り替えって大事ですね。
嫌な現状を変えるために必要だったもの
1.理想とするものを思い描く
庭や畑が嫌でした。
田舎ゆえに無駄に広すぎる土地。
草はボーボーで、木には毛虫がいつだっているし、こんなところが嫌でした。
だったら、私が理想とする庭はどんな姿だろう。
そこを思い描いてみたら、やりたいことが見えてきました。
2.気力を持つ
新しいことを始めるには、行動しなければなりませんが、それを実行するためには気力が必要なんです。
嫌だ、嫌だと文句ばかり言っていても、現状は変えられない。
気力を持って、行動に移すこと。
木を4本伐採したことで、気力が最大限引き出されました。
私が嫌いだった、庭の落ち葉や散らばった枝を片付けて、きれいに草取りをしようと思いました。
3.道具の力
今回、庭の草刈りで最大限力を貸してくれたのが、三角ホー。
根っこが深い草も、根こそぎ取り除くことができて、きれいになった土地をみたら、さらにやる気が出てきました。
昨年も、それなりに一生懸命やった草刈りですが、地面がかたくて上辺だけ伸びた草を刈るので精一杯。
↑これでも必死に草を取ったんですよね・・・昨年の様子。
ところが今年は、三角ホーの登場で一気に作業能率が上がり、かつ草を根こそぎ取ることができるようになりました。
昨年の写真と同じ場所ですが、春とともに雑草も伸びだしてきました。
ここを三角ホーで草刈りをした結果・・・。
美しい(自画自賛)。
こんなにもきれいな地面ができるなんて。
しかも、うちの土地は硬くて嫌な土だと、ずーっと思っていたのですが、三角ホーで草を根こそぎ刈って、地面をならしていったら、フカフカの土壌になってきた!
ご近所の畑は、やわらかい土で草が全然生えなくていいなー。うちとは最初から土がちがうのよね・・・と、ずーっと決めつけていたのですが、それは一生懸命「手」をかけて育て上げた土地だったんですよね。
嫌だ、嫌だと言ってばかりでは何も変わらないし、変えられない。
嫌な庭と畑を変えるために必要だったものは、理想と気力と道具の力でした。
これって、なにも畑だけに限らず、自分の生活にも当てはまることなんでしょうね。
嫌なことがあったら、まずは理想とするものを思い描いて、それに向かって行動すること。必要ならば道具を使い、その道具が時には誰かの力だったりするんですよね。
夫が、畑を作って何かを植えだしました。
私はその周囲の草刈りと片付け。
夕方、仕事から帰ると、畑の周りを見て歩くのが楽しくなりました。
雑草までも、オブジェにしてしまう始末。
自分の手をかけたところは、雑草までもがかわいいと思えるこの心境の変化に、自分自身が一番驚いています。
コメント
おはようございます、初めまして。
しずくと申します。
偶然こちらにたどり着いた、同じ秋田の者です
私の母も要介護1だったり、社会人になった息子がいたり、うんうんわかる!と共感させて頂いてます。
お庭がキレイになる様子、楽しみです白いお花、すずらん水仙とも言われるスノーフレークですね。
うちにもあって毎年ひかえめに咲い
てくれます。
まもなく本物のすずらんが咲きますね✨
また遊びに来させてください
しずくさんへ♪
はじめまして(#^^#)
スノーフレーク!すずらん水仙!そういう名前だったんですね。
名前を知ると、いっそう花への愛着がわきます。
5月は、秋田ではいっせいに花が咲くいい季節ですよね。
まだまだ知らないことだらけの庭ですが、ひとつひとついろんな課題をクリアしていきたいと思います。
スズランの花、とても綺麗ですね。
可憐な花だと思います。
最後の写真、多肉植物に見えます。
雑草と呼ばれる花も、よく見れば、美しい物もありますね。
僕の祖母が「雑草」の花を、切り花にしていけていたのを見たことがあります。
温度差の少ない環境に置き、大切に鑑賞していた事を思い出しました。
僕の家の向かいにある堤防には、水仙が咲いております。
自然に生えていたのか、何十年も前(30年以上)に誰かが植えたか定かではありませんが、群生し、一斉に咲く様は壮観です。
チューリップ、ユリ等の球根類、挿して増やした薔薇等の植物を両隣のおっさん達と少しずつ増やしていっております。
りーじぇさんへ♪
そうなんですよー。草取りをしていたら、多肉っぽい雑草をみつけて、思わずかわいい♪と思いましたもん。
で、ガラスの容器に移してみたのですが、さすが雑草だけあってほったらかしでもどんどん伸びます。
雑草といえども、かわいらしい花が咲くのもたくさんありますし、ひとつひとつをよーく観察すると、なんてかわいいんだ!と思えるから不思議ですね。
関心を持つって、とっても大事なことなんだなー・・・と今更ながら気づいたりしています。
ご近所の方と、堤防にお花を増やしていくのは、すてきな美化活動ですね。
同じ目的を持ったお仲間がいるって、いいものですね。
そらはなさんこんばんは♪
お庭のお手入れお疲れ様です。
お写真で秋田の四季を感じることができて嬉しいです。
お父様の残されたお庭の様子を文章として言葉にまとめブログで繋がっていって…お父様の“人間は言葉で繋がっている”素敵なことですね。
乙女座の乙女さんへ♪
秋田は雪も積もるし、寒いしで、冬は本当にいやなんですけど、その分春になった喜びは大きいです。
どこに住んでいようと、結局は自分の気持ち次第なのかなーなんて思っています。
人間が傷つくときって、人間によるものがほぼすべてなんですよねー。
黙々と草をとってるときは、なんにも考えずにすむので、一番心が穏やかでいられるかも。
ああーーーっ!私も歳をとったなーーー。
ものすご〜く 示唆に富んだ内容です。
現状と向き合う → 理想=どうなったら自分は満足なのか 思い描く → それに向けて動く
仰る通り生活のあらゆることに応用できます。
“ 理想を思い描くこと ” がポイントになると思いました。
私自身思い悩むところがありまして…
やってみようと思います。
TM♪さんへ♪
私の勝手なイメージなのですが、TM♪さんって、賢くて聡明で現実的で・・・、でもそんなTM♪さんでも思い悩むことがあるんですねぇ。
みんな何かしら何かを抱えながら生きているんでしょうね。
それを表面に出すか、自分でうまく処理できるか・・・という違いで、生きやすさがずいぶん変わってくるのかな・・・なんて思いました。