子どもの頃から母の言うことは絶対でした。
私の考えとは違うなぁ・・・と思って、母に意見を言おうものなら、頭ごなしに否定され、母は烈火のごとく怒り出す。
母は賢くて知識も豊富であったがゆえに、母には逆らえず従うしかなかった私。
母はいくつになっても母であり、私はいくつになっても母の娘なのです。
しかし最近、母のことを「子どもみたいだな」と思うことが増えてきました。
こういった感情は、人生初であり、戸惑ったりもしています。
軽度認知障害の母の世界観
80歳を過ぎた母は、軽度認知障害だと思われます。
それは父が亡くなった直後から顕著になり、何度も同じことを聞く、新しい出来事を覚えられないといったような、物忘れが多くなりました。
まだ日常生活は自立しているので、認知症に移行する前のグレーゾーンなのだと思っています。
母は、自分で片付けてしまいこんだものを「無くなった」と大騒ぎをし、必ず私のせいにします。
「勝手に捨てた」とか「どこに片付けた」などと言ってくるのですが、まったく身に覚えのない私は、最初のころは同じテンションで「知らないよ!」と言い返し、母と口論になることもしばしば。
認知症についての本を読み、少しずつ母の世界観を理解するようになってからは、母が忘れてしまうことはしかたのないことだと思うようになりました。
最近では、母に一方的に責められても、比較的穏やかに言葉を返すことができるようになり、かつ、母には整然と問いかけるようにしています。
泣きそうになる母
それでも、あまりにも理不尽なことで責められると、まだまだ未熟者の私は、ついつい問い詰めるような言い方をしてしまいます。
先日も、帰省した次男が向こうのアパートに帰る時に、「一言も挨拶をしていかなかった」と母が言いだしました。
いやいや、帰る日の朝「おばあさんに挨拶してくる」と言って実家のほうへ行った次男を私は見ています。
人一倍義理堅い次男は、こういったことはきちんとしています。
「〇〇(次男)、朝帰るとき、おばあさんに挨拶していたよ」と、私が言うと
「全然来なかった」と言う母。
その日の出来事を忘れてしまうのは、軽度認知障害の母にはよくあること。だから私も「そうなんだ」と受け流せばいいものを、次男の名誉にかけても否定したかったのです。
自分のことは我慢できても、わが子のことは我慢できなかったのですよね。
「ちゃんと帰るって言いに来てたよ。私、見てたもん」と、負けじと母に言い返すと
「来てないって!!全然来なかったって!!」と、怒り出す母。
「あのさ、〇〇(次男)が、今まで挨拶しないで帰ったことなかったよね」
「朝の電車だったから8時前に挨拶にきてたよね」
「そのあと、〇〇はお父さんの車に乗って駅に行ったよね」
ひとつひとつ事実を確認するように母に言うことは、母を問い詰め、責めることにもなるのですが、次男のことを悪く言われて、私もイライラしていました。
極めつけは
「〇〇がおばあさんに対してそんなことするわけがないよね」と私が言った時。
次男のことをとてもかわいがっている母は、一瞬ハッとした表情になり、その直後に目に涙をためて、前よりも激しく言い返してきました。
「絶対に来なかった!」
1人ではやらない母
1カ月ほど前から、生協の宅配を再開しました。
以前は、実家の母と私の2人で生協の共同購入を頼んでいたのですが、父が亡くなったことにより、生協は辞めました。
が、生協のシステムの関係上、年度末までは休止扱いとなっており、その後生協から再開しないかと連絡がくるようになりました。
生協を再びやろうと思った理由は
・母が買い物のすべてを私に一任するようになった。
・もともと母は足が悪いのもあったが、外出するのをめんどくさがるようになった。
・買ってほしいものも「適当に」としか言わなくなり、母が自分で考えなくなった。
そんな母に、少しでも考える時間を与え、自分で買いたいものを決めてほしいとの願いもあったからです。
毎週、生協のカタログを母へ渡し「買いたいものをメモしておいてね」と伝えます。
その時母は「うん、やっておくね」と言うのですが、注文日前日になっても母はやっていません。
聞くと「なんにも買うものなんてない」とか「あんたがいろいろおかずを持ってきてくれるから必要ない」と言うのですが、私が目の前で生協のカタログを広げて、ひとつひとつ聞いていくと「そうだ。パンと牛乳がなかったわ」とか「何か果物が欲しいわ」と言うのです。
まるで小学生が、自分一人では宿題をやらないけれど、親が声をかけて一緒にやろうとすると、ようやく宿題に取り組み始める・・・、そんな感じに似ています。
認知症は身近な人にほど不可解な症状を表す
先日、姉が遊びにきました。
母と一緒に3人でお昼ご飯を食べたのですが、その時の母の様子は、ふだんの様子からは想像もつかないほどよく話し、姉と私の会話にも積極的に入ってきました。
話し方も、ふだんの2倍速くらいのスピードでハキハキとおしゃべりし、別人のようでした。
ふだんの母の様子は、時々姉にメールで伝えているのですが、帰り際に姉に「今日の母はいつもと全然ちがってシャキシャキしている」と言うと、姉も「これだと全然ボケてるなんて誰も思わないね」と驚いていました。
認知症の人は、最も身近にいる相手にはわがままを言ったり暴言を吐いたりすることがありますが、たまに来る親戚や客人にはいたって普通に話しをするというのは、よく聞く話。
まだらボケとは少しちがい、相手をみて態度を変えるというなんとも不可解な行動をするのです。
どうしてこのような態度をとるのかというと、可能性として濃厚なのが、認知症になると「子ども返り」をするという説。
幼い子どもが、一番身近な母親に対してわがままを言ったり駄々をこねたりするのは、母親を一番信頼している証拠だから。
なるほど、そう言われれば、最近母のことをまるで子どものようだと思うのも、母が「子ども返り」をしているからだと思えば、納得できます。
それでも時々、ふっとむなしい気持ちになるのは、母はいくつになっても母であり、私はいくつになっても娘であると思っているから。
これからますます子どもに返っていくであろう母を、私はどこまで受け入れていくことができるのだろう。
現実をありのままに受け入れるというのは、とても、とても、難しいことです。
コメント
おはようございます
そうですよ
とてもとても難しいことです^_^
そらはなさんはよくやってますよ
イラっとくるのも ムカつく時もありますよ
それは 当たり前です^_^
それでも そらはなさんは娘として充分やってますよ( ◠‿◠ )
しろみさんへ♪
なんだかね、しろみさんにそう言ってもらえると、背中をポンと後押しされたようで、気持ちが軽くなります。
イラっとくるし、ムカッとくる。
人間同士だもんね、あたりまえですよね。
ブログ拝見しています。なんだか共通点があるような気がして…。80代初めの母は、父が亡くなった途端一気に老化がすすみ、10歳は老いたかと見まごうほどです。1人暮らしはできないと医師に言われ、とうとうホームに入りました。それまでの気持ちの整理は大変でした。血のつながりって重いです。今は物理的距離に助けられていますが、近居のときはきつかったです。こんな傷つける言葉を言うんだなあと驚くことが何度もありました。母に会うことでどれほどストレスを受けるんだろう、どれほど苦しい思いをするんだろうと思うとまだ会いに行けません。こんなにキツイ人だったのかなあって。そらはなさん、充分にやっておられると思います。
しまさんへ♪
こんにちは(#^^#)
血のつながりって重いです…って言葉が、すごくよくわかります。
私はまだ母とは二世帯住居で、基本的に母は一人でなんでもやっているのですが、いずれ母が動けなくなったときはどうしようか・・・と考えてしまいますねー。
介護離職だけはしたくないと思っていますが・・・、こればっかりはどうなるかわかりませんものね。
しまさんも、お母さまと会うことが苦しいのですね。お気持ちお察しします。
割り切って付き合えたらどんなに楽かと思いますが、自分の母だからという縛りが、またまた重くさせるのですよね。
ああー、とってもとってもしまさんのお気持ちがよーくわかります。
本当によくやってらっしゃると思います、
状況を的確に把握し、
理解して対応を工夫されて。
そうであっても
自分はいいけど子どものことを言われるのは…って、
子どものいない私でもすごく腑に落ちます。
そして相手で態度を変えられるときの虚しくなるような気持ち、わかります。
背中を撫でながら鬱憤を吐き出させてさしあげたい気持ちです。
お姉さま始め お身内に現状をわかってもらい ← たいせつですよね
少しでも楽になられるよう
そしてご自分をいたわってくださるよう
蔭ながらお祈りしております。
TM♪さんへ♪
時間が経って、後で自分の行動を振り返ってみると、果たしてそれがよかったのかどうかと思ってしまいます。
そして、こうやってブログに記すことで、冷静になれるような気がしています。
みなさんの言葉にも力をもらい、それでも明日はまたやってくる。
自分でうまくストレスをためないよう、適当に力を抜いてやっていきたいと思います。
いつも温かいお言葉、ありがとうございます。
こんにちは。元おっかさんです。
お母様の気分とそれに対応するのは、本当にたいへんです。本音はちゃぶ台返ししたいくらいに、腹が立っててもできない。しても無駄だとわかってる。ほんとに疲れますよね。
私の実父も認知症でなくても、子供みたいな性格で、自分の思い通りにならないと怒る人でした。
なんでも自分中心で、私の子供にも介入しそうきなった時は、私も怒り狂いました。
自分の気持ちの中で、我慢し続けた感情が爆発しました。息子が大人の顔色を見ながら、気を使うようになるのが我慢できませんでした。私のように。
どうしても感情的になるでしょうが、曲げれないところは曲げない方が良いと思います。そうでないと自分が保てないです。子供を叱った後のような自己嫌悪はあると思いますが、余裕のない自分も自分なんだと受け入れてあげてください。
お母さんの意欲低下は、脳の萎縮とか薬の副作用などの影響もあります。特に前頭葉萎縮型の認知症だと、感情の起伏や不安感などがあるようです。症状が進んだかなと思われた時は、MRI検査なども含めた専門医に受診されることをお勧めします。
ともさんへ♪
「曲げられないところは曲げないほうがいい」
そんな風に考えると、少し気持ちが楽になります。
なんでも母の言うことを肯定していたら、本当にめげそうになります。
でも、今はまだ二世帯で暮らしは別にしているので、なんとかやっていけるのかも。
これが母一人で置いておけなくなったら、どうしようかな・・・と、先のことを考えつつも、毎日を一生懸命生きるしかないのだな・・・と思ったり。
同時に、自分も歳をとっていろんな記憶が消えていったら、こうなってしまうんだろうか・・・と不安でもあり。
ああー、今は楽しいことだけ考えて暮らします。
こんばんは!
子供に手がかからなくなる(お金はかかるけど)と、今度は親の介護の問題が
浮上してくるんですよね。
主人の両親は他界していますが、私の両親は身心共に健康です。が、
毎月帰省して会うたびに、毎回同じことを話している感じです。
そらはなさんの体験を心に留め、今後の両親との接し方を考えていきたいと
思っております。
plam935さんへ♪
そなんですよねー。
子どもが成長し、手がかからなくなるのと同時に、今度は親のこと。
育ててもらった恩はありますから、母とも上手に付き合っていきたいのですが。
せめて母が、自分のやりたいことを見つけて、楽しそうにしていてくれたら、私も気が楽になるんですけどね。
父が亡くなり、母の物忘れがひどくなり、私もいろいろ考えることが多くなりました。
日々勉強ですねー・・・。
おはようございます。
意固地になられると、認知症だとわかってても、ちゃぶ台返しをしたくなるほど、腹がたちますよね。それも大切にしている子供のこととなると、即戦闘モードになりますね。
私の実父も自己中心な性格で、まわりを振り回します。そらはなさんと一緒で、自分のことならやり過ごせても、子供のこととなると話は別。
絶対に介入されたくないエリアですね。
私の場合、親に支配されていた子供時代の思い。怒りが合わさって、戦闘モードのスイッチが入るんだと思います。
義父は前頭葉萎縮型の認知症だったので、物忘れと不安がありました。一日中ずっとという訳ではないのですが、会話してても言葉が出てこないことがありました。
お母様の意欲低下も脳の働きによるものかもしれませんね。あと薬の副作用なども。
前より症状が進んだなど気になる点があれば、より認知症の専門医のMRI検査などで状態がわかるかと思います。他の疾患で、急に進む場合もありますが、年を追うごとに段々に進みます。
自分の感情と見守り。相手に怒ることを自己嫌悪しないでくださいね。押さえられない気持ちも、あるがままなんだと自分を受け入れてあげてくださいね。
ともさんへ♪
前頭葉萎縮の認知症というのがあるんですね。
時々、母に言い返しても、きっとこれも忘れてしまうんだろうな・・・と思うことがあります。
あまりにも感情的になると、きっと母にも嫌な感情が残るだろうから、さりげなくブツブツ言い返そうかな・・・なんて、最近思います(^-^;
自分の気持ちとうまくバランスを取りながら、母とも付き合っていきたいと思います。
そらはなさん
こんにちは
私もそらはなさんと全く同じ環境です
実の母が扉1枚の向こうに住まいしています
最近、腰を痛め、一人で外出しなくなり、子供返り~らしき症状も
私自身が、様々を受け入れられず、浮き沈み激しくしています
そらはなさんのブログ、また皆様のコメントを読んで、『勉強』『広い意味での勉強を~』と、少し冷静になることができました
ありがとうございました
ご自愛くださいませ
やじまっぷさんへ♪
私と同じような環境なのですね。
様変わりをしていく相手を受け入れるのって、なかなか難しい。
それが自分の親であれば、なおさらですね。
仕事だと割り切って付き合えたら、きっと楽になれるんでしょうけど、やっぱり親子の感情がありますもんね。
なんとか気持ちを切り替えて、毎日暮らしていきたいものです。
そらはなさん…親子って本当に難しいですね。
いくつになっても親にとって子供は子供というけれど、逆にいくつになっても子供にとって親は親。大きくて、怖くて、頼りになって、安心できて、守ってくれる、全知全能の存在だと思います。そんな親が、老化や病気で、小さくて、弱くて、頼りない存在になってゆく…子供として辛いですよね。とくに小さい頃厳しく育ててくれた親には、「私にはあんなに厳しかったくせに!」とやるせない思いがこみ上げてくるものだと思います。親が嫌いになったわけじゃない、むしろ親に対して愛があるからこその、言葉にできない、割り切れない思いが、時として激しく爆発してしまうこともたくさんあるだろうと思います。
今のお母様にとって、そらはなさんが、大きくて、頼りにできる存在、全知全能の存在なのでしょうね。ご自分がだんだん弱って頼りなくなってゆく不安、混乱、恐怖、自分が弱ってゆくという現実を認めたくない思い、自分は弱くなってしまうのに世の中はどんどん進んでゆくことに置いてけぼりを食らうような寂しさ、そういうものを全部ぶつけてしまうのが、一番近くにいる愛する娘であるそらはなさんなのでしょうね。
お母様の世界観を尊重しよう、お母様が「忘れてしまう」ことを受け入れよう、そんなお母様とお母様の世界に寄り添い穏やかにつきあおうとされるそらはなさんの姿勢は素晴らしいと思います。ご自分で失敗した(寄り添えなかった)と思うようなことがあっても、そらはなさんはお母様を大切にしようとされています。そのお気持ちがあって、軽度認知症のことを勉強されて、日々試行錯誤しながらお母様と向き合っているのは、とっても貴重なことだと思います。
そんなそらはなさんの気持ちが、お母様にも伝わっているのかもしれないですね。そらはなさんの前では安心して弱くなれる、そらはなさんの前で見栄をはったり自分をよく見せようとしたり無理にしっかり者を演じる必要がない…相手を見て態度を変えるって、そういう面もあるのかもしれないって思いました。それを受け止めるそらはなさんにとっては、辛いし大変だし傷つくことも多いでしょうけれど…。お母様も本当はそらはなさんを傷つけたくはないんだと思います。でもどうしていいかわからない、結果として意図とは違って一番自分の傍にいて助けようとしてくれてる大切な娘を傷つけてしまうなんて、お母様にとっても悲しいことでしょうね。
親子であっても他人同士、たたでさえ価値観が違ったり分かり合えなかったり気持ちがすれ違ったりはあるし、それに軽度認知障害という問題が重なってくれば、本当に大変なことでしょう。
ご自分のためにもお母様のためにも、そらはなさん、どうぞどうぞご自分を大切にしてくださいね。そらはなさんは充分すぎるほどよくやっていらっしゃいます!
どうしてもお辛くなったら、「家族の会」なども助けになりますし、地域包括支援センターでも家族の相談に乗ってくれるはずです。
そらはなさんご自身が元気でご自分に優しくしてこそ、お母様にも優しく接することができるんだと思います。
お母様もお母様なりに一所懸命生きてらっしゃるし、そらはなさんも懸命に生きていらっしゃいます。
頑張ってるご自分を、たくさん褒めてあげてくださいね。
…差し出がましく長文失礼しました!(__)
というコメントを先程投稿したのですが、重複してたらすみません(汗
長文なうえ自己レス失礼します、訂正あります。
>軽度認知症のことを勉強されて
と書いてしまいましたが、
「軽度認知障害のことを勉強されて」
でした。
返す返すもすみません…
白雪さくらさんへ♪
親子の縁って、とても重いものだと思います。
必ずしも親子だからといって、相性が合うわけでもないし、だからといって縁を切るわけにもいかないし。私自身が後悔しないよう、うまく付き合っていくしかないのですよね。
母もずいぶん弱くなりました。
そんな母に対しても、いまだ構えてしまう私。
せめて自分は反面教師にして、子どもの負担にならないようにしていかなければならないな、とつくづく思います。