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認知症の母との面会記録|たとえ名前を忘れても

3月とは言え、車のフロントガラスには、まだ冬の名残を感じる冷たい風が吹きつけます。

前回の面会では、私が名乗ると、母は考え込むような表情をしながらも私のフルネームを口にし、どこかで私のことを認識してくれている気がしました。

今日も、そんな小さな希望を抱いて、母のもとへ向かいました。

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私をヘルパーさんだと思った母

面会室で待っていた私を見て、母は不思議そうに私の顔をじっと見つめました。

私は笑顔で名乗ります。
「お母さん、こんにちは。私、〇〇だよ」

けれど、母はどこかよそ行きのような笑顔を浮かべて、こう言いました。

「あなたたちは、毎回大変だねぇ」

その瞬間、胸の奥がぎゅっと締めつけらます。
「あなたたち」と言う母の言葉には、家族ではなく、施設のスタッフや訪問者に向けるような距離感があったからです。

母の記憶の中には、、もう「娘」は存在していないのかもしれません。

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名前を呼んでも、届かない

母の記憶を呼び覚まそうと、私や姉、孫たちの名前をひとつずつ挙げてみました。
以前なら、母はそれを呪文のように繰り返しながら、思い出そうとしてくれたからです。

でも、今日は違いました。

「わからない」

その一言が、ぽつんと空中に漂います。

父の名前を出してみても、母の表情に変化はありません。
母が生まれ育った町や、小学校の名前を口にしてみても、何の反応もありませんでした。

もう何を言っても、母の記憶に響くキーワードはないのかもしれない…そう思うと、母の顔を見ているのが辛くなってきました。

「昔はみんな見合いだった!」

「お母さんは、なんでお父さんと結婚したの?」
ふとそう聞いてみました。

すると、母の目がぱっと輝き、表情が変わったのです。

「昔はみんな見合いだったよ!なんでと聞かれても、そうですかと従うしかなかったもの」

その時ばかりは、母の声は力強く、迷いがありませんでした。

私は思わず笑ってしまいました。
そう、この話は元気だった頃の母から何度も聞いていた話し。
母の表情も、どこか得意げなあの頃のままです。

この瞬間、確かに「昔の母」が戻ってきた気がしました。

けれど、それもほんの一瞬。

再び母の目は遠くを見つめ、また静かになりました。

「今、この瞬間」しかない母

母はまだ歩くことができます。
介助は必要ですが、自分の足で立っています。
身体の不調を訴えることもなく、食事もとれています。

それなら、それでいい。

そう思おうとする自分と、それを素直に受け入れられない自分が、心の中でせめぎ合います。

でも、もう母の記憶には「過去」はありません。
あるのは、「今、この瞬間」だけ。

私が誰かはわからなくても、母が不安そうでなければ、それでいいのかもしれません。

実家の片付けを、ためらわずに

施設を後にすると、やはり気持ちは沈みました。
「覚悟していたつもり」でも、母の「わからない」という言葉は、心に重くのしかかってきます。

でも、今日は少し違う気がしました。

これまで、私はどこかで「母がまた家に戻ることもあるかもしれない」と思っていました。
だから、実家の片付けもためらいながら進めていたのかもしれません。

でも、もう迷いません。
母の記憶の中には、あの家はもう存在していないのだから。

「もう少し、片付けを進めよう」

そう、自然に思えました。

私も前を向いて

母は「今」を生きています。

だから、私も「今」を大切にして生きていこうと思います。

会いに行くたびに心が揺れるし、落ち込むこともあります。
それでも、母が安心して暮らしているのなら、それでいい。

私はこれからも、母に会いに行きます。
たとえ私のことを忘れてしまっても、母が心地よく過ごせるように。

それを見届けるために。

母のために、そして、私自身のために。

 

 

 

コメント

  1. とも より:

    そらはなさん、お久しぶりです。
    ずいぶん前にコメントをしていたともです。
    お母様は施設に入所されたのですね。
    私の母は先月他界しました。認知症も少しずつ進んではいましたが、元気に過ごしていました。急性大動脈乖離で呆気なく逝ってしまいました。

    お母様の記事を読んで、そらはなさんの胸の痛みが手に取るようにわかります。
    認知症だからとわかっていても、現実を前にすると辛いですね。

    母を亡くして、もう会えないと思うと辛い毎日です。そらはなさんも心揺れるとありましたが、母に触れるというのは生きておられるからこそです。どうぞお母様との時間を大切になさってくださいね。

    • そらはな より:

      ともさんへ
      こんにちは。
      うちの父も大動脈解離でしたから、本当にあっけなく言ってしまった…というのはよくわかります。
      きっと、ともさんも、心残りが多いのではないでしょうか。
      おっしゃる通り、私はまだ母に触れることができます。
      いろんなことを考えながら、今週も面会に行ってきます。
      コメントに励まされました。ありがとうございます。