母が認知症の薬を飲みだしてから2か月が経過しました。
薬のおかげなのか、私が対応の仕方に慣れたのか、母は以前に比べると随分穏やかになったと思います。
認知症は決して治る病気ではありませんが、初期に薬を飲むことで、ある程度進行は緩徐になると言います。
ならば、なるべく早く病院で薬を処方してもらいたいところですが、認知症の初期の場合は、本人も家族もなかなかそのサインに気づけないことが多いものです。
認知症に気づいたきっかけ
4か月前に父が急逝したことから、母の言動がおかしくなりました。
80歳を過ぎた高齢の母ですから、夫の突然の死にパニックになるのも当然のこと。
父の葬儀が終わるまでの数日間、母は前後の記憶がほとんどなくなり、毎日同じことを繰り返し繰り返し聞いてきました。
昨日話していたことを覚えていないというのならまだしも、数分前に話したことも覚えていない母の状態に、さすがに「あれ?おかしいな」と感じていましたが、時間の経過とともに落ち着いてくるのかな、とも思っていました。
しかし、高齢ゆえの記憶力の低下はしかたがないにしろ、それを差し引いても明らかにおかしい。
決定打は、私のことを「相続争いをしている泥棒」だと言ったこと。
父が亡くなってから毎日のように、市役所、銀行などを廻り、年金関係の膨大な書類の記入に辟易し、それに加えて町内や神社の役員を引き受けていた父の残務整理や引継ぎ、さらに香典の整理と名簿作り、香典返しの手配などなど、一時も休むヒマなどなかった私。
母が困らないように、母が不安にならないようにと、ただただそれだけを思って手続きを進めてきたのに、「泥棒」だと言われた時の虚脱感と腹の底から湧き上がるどす黒い感情は、今でもはっきり覚えています。
しかし、このことをきっかけに、母は認知症だと気付くことができました。
認知症の一番最初の症状
認知症は、ある日突然発症するのではなく、長い年月をかけて徐々に進行する病気です。
なので、家族や本人が「あれ?なんかおかしい」と、小さな異変に気付いても、それを一過性のことだと重大に受け止めることができないので、認知症の初期症状は見逃してしまうのですよね。
今だから思うことですが、母の認知症の症状は、父の死で露わになっただけであり、実はその前からサインはありました。
料理をしなくなった
転勤族生活を辞め、私と子どもたちが実家のある土地へ戻ったのが十数年前。
実家とは生計も暮らしも別の二世帯住居でしたが、当時母が週に3日は私たちの分の晩ごはんも作っていました。
「晩ごはんは自分で作るから要らない」という私に、母は「子どもたちがお腹を空かせて待っているのがかわいそうだ」と言って譲らず、さらに「おまえは、親に頼ることを知らない可愛げのない娘だ」と言うので、ならば塾のある日や仕事が遅くなる日と限定して、週に3日は母に晩ごはんをお願いしていました。
本当は、子どもたちが「おばあさんのご飯はおいしくない」と言っていたのですが、一生懸命作る母のご飯を、私も子どもたちも黙って食べていました。
昔は、母の手料理がおいしくて大好きだったのですが、母も高齢となり、味付けが若者向けじゃなくなったんだなぁ・・・と思っていたのです。
それから2~3年くらい経ったころ、ある日突然母に言われました。
「もう晩ごはんは作らない。いったいいつまでこんな年寄りに作らせる気だ!私だって大変なんだ!もうやらないから!自分で作りなさい!」
いきなり怒ってきたので、いったいどうしたのかワケがわからなかったのですが、内心(これで子どもたちがガマンして母の晩ごはんを食べなくても済む)とホッとしたものです。
その時以降、実家の父母とは完全に食事は別々になりました。
時々、料理を多く作ったときは、実家におすそ分けをしていましたが、だんだん母は料理を作ることがめんどうになっていったのだと思います。
毎年お正月には、姉一家が実家に遊びにくるのですが、以前は「何を食べさせようか、何を作ればいい?」などと母が張り切って料理を作っていたのに、7~8年前からは「作るのいやだから、どこかに食べに行こう」と言い出し、その後は完全に私が一人で料理を準備するようになりました。
父が「お母さんの作る料理がおいしくなくなった」とボヤいていたのもこの頃だったかもしれません。
認知症は、記憶力、判断力が低下し、手順を踏んで同時進行しなければならない料理はできなくなると言いますが、まさに母は10年ほど前から徐々に症状が出始めていたのかもしれませんね。
歳のせいだから・・・と受け流していましたが、料理の味付けがおかしいなと感じたら、注意してみるべきだったと、今だからこそ思ったりしています。
最近の母の様子
「勝手口にじゃがいも置いたの、あんたなの?」と、母が聞いてきました。
いやいや、それはこの間お姉さんが持ってきたんでしょ。
と母に言うと
「あの子、いつも黙って置いていくから、知らなかったよ」と母。
そんなはずないと思うけどなー。
私が東京へ遊びに言っている間、お姉さんが来てくれて、一緒にお墓参りに行ったんだよね?
お姉さんが自分の家で採れたじゃがいもを持ってきたんだから、黙って置いていくはずないよね。
「きっと○○子(←姉のこと)が、こっちに来る途中で買ってきたんだな。いつもどこかに寄って買ってくるもんな」と、自分に言い聞かせるように話す母。
そうかと思えば、お彼岸中に父の仏前にお参りに来てくれた父の友人たちのことは、しっかり覚えていて「このお菓子、持ってきてくれた」と教えてくれます。
だんだんこうやって、覚えていること、覚えていないこと、忘れてしまったこと、記憶に残らなかったことが交互に押し寄せながら、母の症状はゆっくりと、それでも確実に進行していくのでしょうね。
「お姉さん、じゃがいものこと話すの忘れてたんじゃない?」
母にはそう話しました。
母が覚えていない、知らないと言うことを追及しても、なんにもならないことを、私はこの4か月で身に染みてわかりましたから。
どうか母の中に嫌な感情が残らずに、毎日穏やかに暮らしていけますように・・・。
コメント
そらはな様
認知症大変でしょうね。すぐお近くに住んで居られて、親孝行な感じがします。お金のことで疑われるのは、とても嫌ですね。私もありましたが、いつも私なんです。色々思うことあって、もう1年以上顔を合わせてないです。少し遠くに引っ越しました(主人の実家へ…田舎の長男だから)ですので、これか良かったのか、心は乱されません。弟の言うことは良く聞くので、これで良いのかな…
ルリネコさんへ♪
実家に戻ることは、私自身が決めたことなので、後悔はしていません。
していないのですが、いろいろ大変なこともありますし、かといって離れて暮らしていたら、一人になった母をほっとけなかったと思うし、やっぱり今できる最善のことをやるのみ・・・なんですよね。
ルリネコさんも、ご実家でいろいろあったんですね。
大変な思いは、本人にしかわからないものですからねぇ・・・。
弟さんがいるなら安心ですね(#^^#)
毎日ご苦労様です
お母様、いま思い返すと初期症状が現れていたのかもしれないですね。
うちの母の面倒くさがりもそうなのかな?
そらはなさんのお話を読むと特に気になります。
思い当たる節があります。
ケアマネさんやデイサービスではかなりシャキッとしてるみたいで、認知のかけらも無いと言われるんです。
難しいですねー
そらはなさんの対応、見習わなくちゃ!
えりあママさんへ♪
ほんとに、今思えば・・・なんですよね。
料理云々の件が、もし認知症の始まりだったとしたら、母の場合は何年もかけて本当にゆっくりと進行してきたんだなぁ・・・と思いました。
年老いて、病気するのもいやですが、記憶が徐々に失われていく・・・というのも、本当に怖い・・・。
ああー・・・、自分のこれからのことをいろいろ考えて、せめてボケないようにせっせと頭を使っていきたいものです。
えりあママさんのお母さんも、やはりよその人の前ではシャキッとなるんですねー。
認知のかけらもないなら、それはそれで幸せなことかもしれませんが、一緒に暮らしていると、いろいろ衝突することも多いんでしょうね。
私も母と向き合っていると、忍耐力が相当鍛えられますよ(;^ω^)
そらはなさん、こんばんは。
お母様、穏やかに過ごされて何よりですね。
義父の時にも思いましたが、お薬の力ってすごいなと。
ところで、YouTubeにMr.サンデーの認知症の回がアップされてました。(番組名を間違えてました。すみません。)
9月11日と18日放送分です。
抜粋ではなく、番組そのままでした。
前編は辛かったですが、後編は色々と参考になる情報もありました。是非、ご覧くださいね。
ともさんへ♪
ありがとうございます(#^^#)
YouTube、観てみますねー。
体験談は、本当に自分の在り方の参考になります。