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【実家の片づけ】使っていないサイドボードをついに処分

実家のリビングに置かれたサイドボード。
もう何十年と使っていないというのに、部屋の片隅に追いやられ、不要なものが突っ込まれたゴミ置き場と化していたサイドボード。

ついに片付けることができました。

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実家のサイドボード

かつては食器を飾り、父の好きなお酒も収納していたサイドボード。
実家を新築した当時(昭和50年代)は、リビングの中央に華々しく置かれていたものです。

引き出物やら記念品、贈答品などが溢れていた当時、サイドボードを置くと言うのは父と母にとっては豊かさの象徴だったのかもしれません。

そのサイドボードがリビングの片隅へ移動されたのは、平成になってからでしょうか。
父も母も、サイドボードはもう必要ないと思っていても、捨てられなかったんですよね。

なので、サイドボードは使わない食器の置き場から、いつしか雑貨置き場となり、ホコリにまみれることとなります。
父が亡くなり実家の片づけをする際にも、母はゴミ置き場となったサイドボードは「そのまま置いておいて」と言うので、私もそれに従いました。

当時はモヤモヤしましたが、母のリビングで母がそれでいいと言うのなら、それでいいかと、自分を納得させました。

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サイドボードを「欲しがる」

実家のリビングは、壁面に飾り棚があります。
その棚には、人形や時計や皿など(ほぼ贈答品)を飾っているのですが、棚の上にはゴミがかからないようにと、紙を敷いています。

さらに、飾っているモノにもゴミがかからないようにと、ビニール袋を被せているんです。

昔から母は、なんにでもビニール袋を被せていました。

先日、その棚の上を掃除していた時、母が言ったんです。
「もう使わないものは片付けてちょうだい」と。

ついにこの日がキター!
しかし、嬉々として捨てることを態度に出してはイケナイと思い、「うん、わかった」と淡々と返事をしつつ、そこからの動きはまるで早送りのよう。
いやぁ~、私もまだこんなにテキパキと動けるのね・・・と自分に感心しちゃいましたよ。

棚の上のオブジェは、母にとって思い出のものと思われるものだけ残し、あとはすべて撤去しました。

さらに、このチャンスを逃すものかと、ホコリまみれのサイドボードも撤去するべく
「このサイドボード欲しいな。使っていい?」と、母に聞く。

「要らない」「捨てる」といったワードは、母に言ってはいけません。
ここで自爆しては、今までの苦労が水の泡。

「こんな古いものでも使ってくれたらうれしい」と母は快諾してくれたので、すぐに夫を呼んできて、2人で運び出しました。

運び出した先が車庫であっても、母はわかりませんでした。
そして数分後には、そこにサイドボードがあったことすら覚えていませんでした。

使っていないモノや場所はホコリの巣窟となる

サイドボードの中や周辺にあった不用品です。

使っていないものは、ゴミでしかありません。

 

棚に敷かれていた紙はカレンダーで、2012年ですって!

これらを片付けていたら、私はくしゃみが止まらなくなりました。
それほどホコリが舞ったのでしょう。

 

こんなにウチワを集めてどうする!と、思ったけれど、捨てられない母の性分なのでしかたがない。

それでも、これらを片付けられたことで一歩前進しました。

 

車庫に運び込んだサイドボードや壊れたオーディオ、時計などなど。
どさくさまぎれに、固定電話を撤去した後の電話台も運び出しました。

誰にでも老いは必ず訪れるし、いつかは死ぬ時がやってきます。
残された時間をモノやホコリに埋もれて過ごさないよう、これからも実家の片づけをやっていきたいです。

もちろん我が家もね。

コメント

  1. 白雪さくら より:

    こんにちは〜☆彡

    ご実家の片付け、「『時』が来た」のですね。
    「すべてのことには時がある」、って、聖書の結構有名な言葉なんですけど、
    「すべてのことには定まった時期があり、天の下のすべての営みに時がある。
     (中略)
     保つのに時があり、投げ捨てるのに時がある。」
    (旧約聖書伝道者の書3章1節、6節)
    きっとお母様の状態も安定して、物に執着しなくても安心して暮らせて、捨てるにふさわしい時になったんだろうなあと思います。
    サイドボードや固定電話が無くなってもわからない、あることさえ覚えていない、というのは認知症の症状もあるかもしれないけど、それだけじゃなく、「無くなっても大丈夫」になったんだと思います。不安定な時って、ちょっとした環境の変化にものすごく敏感で、混乱したり不安になったりしますから。
    認知症の発症と進行、お父様のご逝去とそれに伴う様々な変化、お母様自身、身の回りで動かず変わらない「モノ」に執着しないと御自分を保てないようなところがあったのだと思います。
    そらはなさん、よく、がんばりました!この「時」が至るには、そらはなさんのご苦労がたくさんたくさんありましたよね!今も苦労工夫を重ねておられるけど(お見事!と思います)、本当に、お疲れ様です!
    「こんなに古いものでも使ってくれたらうれしい」というお母様の素直な快諾の言葉、なんかじんと来ました。本当にものを大切にされる昔の人なんだなというのと、「古くなって、『役に立たなくなった』もの」に対する思いというか、ご自分と重ねておられるのかな、と。昔の人だからものを捨てられないってだけじゃなくて、年老いて衰えて時代についていけなくなっていく自分自身が周囲から見捨てられるような、そんな感覚もあるのかな、と思いました。無意識でしょうし、白雪の深読みかもしれないけど。
    そらはなさんがお母様を大切にしておられるからこその、快諾だったんだと思います。
    きっとお母様も、すっきりして快適だからこそ、そこにあったことも忘れたかのように穏やかに安心して過ごされてるんだと思いますよ。
    あ、ハウスダストのアレルギー、お気をつけて!布マスクでもされたほうがいいですよ、できればメガネも。「今だ!」と思うとなかなか準備しないで取り掛かっちゃうけど。

    • そらはな より:

      白雪さくらさんへ
      「時が来た」・・・って、本当にしみじみそう思います。
      白雪さくらさんは、聖書の言葉ですが、私はライオンキングの「時は来たれり」を思い出していましたよ~(^-^;
      おっしゃる通り、父が亡くなったあとは、母も不安だったろうし気持ちも追いついていけなかっただろうし、そんな中、モノを処分しようとすることは間違っていたんですよね。
      今の暮らしに不安も心配もなくなったからこそ、母もモノへの執着がなくなったんだと思います。
      掃除をする時は、マスク必須ですよね。
      常にマスクをポケットに入れておこうと思います(^^♪