今年の介護認定で、母は要支援1から要介護1へとなりました。
要介護1となると、訪問看護やデイサービスなどを受けることができますが、母は何も利用していません。
私としては、母が自宅で入浴するという手間やリスクが減るので、週に2回のデイサービスを利用したらいいのにな・・・とも思うのですが、なかなか簡単にはいかないようです。
介護サービスを利用しない理由
母が介護サービスを利用しないのは、①人に頼るのは申し訳ない ②自分はまだそこまで衰えていない、というプライドがあるためだと思われます。
また、介護保険制度が始まったのは2000年のこと。
母は40代の頃、認知症となった義母を自宅で介護した経験があるので、介護とは最後まで身内が手を尽くすものと思っているのかもしれません。
ケアマネさんが何度かデイサービスや訪問看護のお話をしたのですが、母は「必要ありません」と断っています。
母の友人たちは、デイサービスを利用したり施設に入居した方も何人かいますが、母は「施設に入ったらもう最後でしょ」と言います。
母にとって、第三者の手を借りるということは、価値観に反するありえないことなのでしょう。
母の入浴状況
以前から母は、夏場であれば毎日シャワーを浴びるものの、冬場は2~3日に1度の入浴をするという状態でした。
父が亡くなったあとも、自力でお風呂にお湯を張り、自分で入浴をしていました。
昨年は要支援1と認定されたので、シャワー用の介護椅子を購入しました。
ところが先日、仕事が終わってから母のところへ様子を見にいくと、ちょうどお風呂にお湯を張ろうとしているところで、「(お湯張りを)どうやってやるのか、もうわからなくなった」と言うではありませんか。
実家のお風呂は、お湯の蛇口と水の蛇口がある混合栓で、お湯と水を丁度良い温度になるよう調節してお湯を張るのですが、数段階ある行程がわからなくなってきたようなのです。
そんなことがあってから、母へは我が家でお風呂に入ってもらうようになりました。
母へ声をかけて「今日は入らない」という時もあれば、「じゃあ、今からそっちに行くね」という時もあって、週に2~3回は母が我が家で入浴するようになりました。
私としても、母がお風呂に入っているときは、キッチンで作業をしながらも母の様子が聞こえてくるので安心です。
そうだ。
デイサービスを利用しなくとも、お風呂はこうやって我が家がデイサービス代わりになればいいのだ・・・ということに、今更ながら気が付いたのです。
親の自立を支援するということ
子育て真っ最中のころは、我が子がひとつひとつ何かができるようになるために、親は手を差し伸べつつ、見守りつつ、そのバランスがとても重要でした。
手を出し過ぎると、子どもは親に依存しすぎて、子どもの自立を妨げることになります。また私も、ついつい手を出してしまいたくなるのですが、それをグッと我慢して見守るということは、忍耐力が必要でした。
子どもは日々成長し、できることがどんどん増えていく。
その幸せな過程を見ることができるのは、親の特権でしょうね。
しかし、親の老化(退化)に向き合わなければならなくなった今はどうでしょう。
昨日までできていたことが、今日はできなくなっている。
少しずつできないことが増えていく親を見るということは、自分の心にも風穴が空いたような虚無感に襲われます。
それでも子育てと共通していることは、自立を支援するための手助けであるということ。
子育ては、親がひとつひとつ手をかけることを毎日減らしていく引き算。
そして介護は、親に対して手をかけることを、少しずつ増やしていく足し算。
引き算と足し算は真逆にみえても、根底にあるのはどちらも「自立」という共通した目的なんです。
母がどんどん年老いて、できないことが増えていったとしても、私は極力母が自分でできることを残してあげたい。
だから介護サービスを利用するのは、まだもう少し先のことかな・・・なんてことを思ったのでした。
コメント
おはようございます。
そらはなさん、優しいですね。いいと思いますよ。
私も、利用できるものは使い、楽をしたいと思いますが、母のプライドを考えたとき、待てよと思うことがあります。
幼い私が立って歩くようになるまで、若かった母は見守ってくれたことを思うと、逆の立場になったら、娘としても考えるところがあります。親子なんですね。
ひとそれぞれの介護の方法があるでしょうから、できたら明るくいきたいものです。
そうはいっても、私の老後は全く想像できませんが。 ま、先のことを思い悩むより、今をなんとかクリアしていけばよいのかな(^。^;)
ルイコさんへ♪
うちの母は、人に頼るのも好きじゃないし、家の中に人を上げるのも嫌なんですよね。
今後、本当に介護サービスが必要となったとき、家の中にヘルパーさんが来るということを理解させるのも大変そう・・・。
母に対しては、いろいろ思うこともありますが、やっぱり育ててもらった恩はものすごく感じているので、娘として今度はそれを返していきたいという気持もあります。
どんな状況になっても、前向きで明るくいきたいものですね。
ほんとに優しい。ご家族の手助けや見守りも含めて、複数の目で見て考えてあげて下さいね。介護者の負担もわかるし、される側の心情も見ててくれる。そして困ったり、煮詰まった時は躊躇なくプロの助けを求めて下さいませ。外部の人は家族には出来ない事ができます。
やまこさんへ♪
介護は、家族だけでは絶対無理だと思っています。
母の状態をみて、どこで介護サービスを利用するか・・・、今後はそういう判断も求められる時がくるでしょうね。
第三者の手を借りるということは、決して恥ずかしいことでもないのですが、母にそれを理解させるのが難しそうなんですよねぇ・・・。
先のことを考えてもしかたがないので、今は今できることをやっていくしかないのですけどねぇ・・・。
実家の一人暮らしの母も要介護1です。
認定の理由は「問題行動」ということらしいです。
不安から体の不調を感じ(検査ではどこも悪くない)、昼夜構わず周りに電話してしまうからです。
これ以上周りに迷惑かけられないので、ケアマネさんに相談したところ、訪問看護を提案されました。
1週間に1度、看護師さんが来て1時間、母の話をただ聞いてくれる。
そして、24時間看護師さんに電話が繋がるようになってるので、電話の内容によって緊急性があれば駆け付けてくれる…というものです。
そのサービスを使うようになって、母は落ち着き、周りに迷惑な電話をする事もなくなりました。
思いもよらないサービスがあるものだと驚きました。
他にも親のプライドを傷つけず、プロに助けてもらう方法もあるかもしれません。
私は、ウチのケースにちょうど合ったサービスでとても気が楽になりました*ᵕᴗᵕ*
バタールさんへ♪
訪問介護というのは、身体的お世話や家事をするだけではなく、そのようにお話を聞いてくれて心のケアをしてくれるというのもあるんですね。
お母様の不安が解消されるだけで、問題行動が落ち着くのであれば、本当にありがたいことですよね。
親のプライドを傷つけないようにことを運ぶって大変だと思うのですが、実際私が歳をとったらどうだろう?
すんなり介護サービスに移行できるかなぁ?
せめて子どもたちには迷惑をかけないようにしたいものですが・・・。
そらはなさん、紛らわしくてごめんなさい(*’.’*)
「訪問介護」ではなく「訪問看護」です。
私も訪問看護というと、医療行為をするものだと思っていたのです。
母にとっては、医療のプロである看護師さんに話を聞いてもらう事も医療だったのかもしれません。
TM♪さん、コメントありがとうございます^ ^
バタールさんへ♪
了解です。
訪問看護も、幅広くいろんなことをやっているのですね。
勉強になりました。
空花さんおえらいです。
してあげたいこと、できること。
量りながら、その都度最適の道を選ばれますように…
空花さんのリサーチ力なら、いい知恵もたくさん見つけられると思います!
昨日、でしたか。
NHKで 認知症予防についてやってました。
ご覧になった?
お母様を精一杯看ることと、自分もそうなると思い込むのは、全くベツ。
いつまでも心身元気でいましょう!
そのために取り入れられる知恵はどんどん取り入れましょう(^o^)/
今、↑のバタールさんのコメントを拝見して
心があったまりました(๑˃̵ᴗ˂̵)
私もまさかのときはそういうの、利用しようっと。
TM♪さんへ♪
介護制度に関しては、1年ごとにいろんなことが変わっていきますから、その都度行政に確認しながら進めていくしかないのでしょうね。
今はネットのおかげでいろんな情報が手に入るようになったので、本当にありがたいですね。
あふれる情報の中で、自分に合うものを選択していかなければなりませんね・・・。
本当に、体だけではなく心も元気でいられることが一番の願いです。
お母様の介護認定、要介護1になられたんですね。
義父も介護サービスを受けようと思ったのは、やはり入浴が困難になったからです。
異性であり、義父は心臓病もあったので、私ではとうてい介助は無理だと判断しました。
お医者さんが経営している施設で、入浴とリハビリサービスを受けました。バイタルチェックもして頂けるので安心でした。
しかし、当の本人を説得するのが一番大変でした。お年寄りの特徴かもしれませんが、自分だけは違うというプライドがあり、ご近所の方や知り合いに見られるのが嫌、恥ずかしいという気持ちのようでした。通院時の車椅子の利用も嫌がってましたね。
何年か続けると、自分も楽に過ごせると理解し始め、また実際に体が弱ってきたのもあり、最後は受け入れてくれました。
お年寄りのおばあちゃん達と話す機会がありました。皆さん八十歳を過ぎた方々ですが、口々に
この歳になってみないとわからんと言われます。
心身の衰え、不安など私達には想像できない複雑な気持ちですね。
なるだけ気持ちを尊重しつつ、負担にならない介護はバランスが必要です。今ある能力を持続できる手助けを家族と公的なサービスで支えていけるといいですね。
ともさんへ♪
ああ!そっかー!
入浴介助といっても、母の場合と父の場合ではビミョーにちがってくるんですね・・・ってことに気が付きました。
私も、もし父が生きていたら、父が自力で入浴できなくなったとき、やっぱり介護サービスを利用するよなぁ・・・って思いました。
高齢の親を説得するのって大変ですよね。
本人は長いこと生きてきた経験がありますし、それを新しい制度にはめこもうとしても、困難がありますよね。
いずれ介護サービスを利用することになると思いますが、うまく移行できるといいなぁ。