秋も深まってきたところで、ようやく椿の木の下にたい積していた枝葉を撤去しました。
剪定した枝や落ち葉の一時置き場だった場所は、いつのまにか常設枝葉置き場と化し、私が最も近づくのが嫌だった場所です。
片付け作業をしながら、時代に沿って生きるということは、簡単なようで難しいのだなぁ・・・なんてことを考えました。
庭の椿の巨大化
庭の片隅に大きな大きな椿の木があります。
私が子どもの頃からすでにそこそこ大きかった椿の木で、以前は庭の中心部に植えられていたのですが、家を建て替えする時に、庭の隅へ植え替えられました。
大きな椿の木は、お隣の家の無機質な倉庫の目隠となり調度よいのですが、おそらく剪定などしてこなかったので、今では手が届かないほど巨大化しています。
この椿の木は、もともとは1本の木だったのでしょうけど、定期的に剪定をせずに脇芽も放置して伸び放題にしていると、とんでもなく巨大化するといういい例でしょう。
下から見上げると、どこの森だ?と思うほど、枝がすごいことになっています。
この中にコロボックルやコダマが住んでいても不思議じゃない。
根元はご覧の通り、1本の幹なんですけどね。
この椿の木の下は、庭木を剪定した枝葉置き場となっていました。
庭の枝葉置き場
我が家はとにかく木が多い。
なんでこんなに植えたんだ?と思うほど、いちいち多い。
昔は、町の緑化計画などで苗木を無料で配っていたので、父と母はせっせと苗木をもらってきては、庭のあちこちに植えていたのでしょう。
しかも、あまり計画的に庭を造ったわけではないので、無秩序にいろんなところにいろんな木が生えているのです。
それらの木は、年月とともに大きくなり、父も木々の剪定は楽しんでやっていましたが、当然、落葉樹は秋になれば大量の葉っぱを落とします。
切った枝葉は、昔は庭のドラム缶で燃やしていました。いわゆる野焼きというやつです。しかし、時代の流れとともに環境問題が取りざたされるようになり、平成13年以降は野焼きは法律で禁止されるようになりました。
おそらくその頃からでしょう。
庭の椿の木の下が、我が家の枝葉置き場と化したのは。
何層にも積まれた枝葉の下は常にジメジメしているので、コゴミが生えるには最適な環境でもありました。
そして、椿の木の下に限らず、庭の隅は大量の落ち葉や栗のイガなどが何層にも積み重なっているという状態でした。
枝葉を撤去してよかったこと
父が亡くなってから、最も私を悩ませたのは庭木の管理。
私は父と同じようにできるわけがないし、私も夫も仕事をしているので、時間も限られています。
しかし、あーだこーだと文句を言っても現状は何も変わらないわけですから、まずは自分ができることから始めようと、庭の何層にも積み重なったミルフィーユ状態の落ち葉の片づけから始めたのが昨年のこと。
落ち葉を片付けるのに使った市のごみ袋は、累計で100袋は超えたと思われます。それは現在も記録を更新中なわけですが、地道に作業を進めていくしかありません。
そして我が家のリビングに隣接していた大きな栗の木を、今年の春に伐採し、そこにたい積していた落ち葉をすべて片付けました。
すると、今年の夏明らかな変化が生じました。
それは、家の中に毎年出没するムカデが激減したのです。
我が家は、ゴキブリは見たことがないのですが、ムカデが非常に多く出没するので、これは地域性によるものでしかたがないことだと思っていました。
そういえば、娘が小学生だった頃のこと。
私が洗面所で制汗スプレーを脇にシューっとやっていたら、娘がすっ飛んできて「ムカデ出た?」と聞くのです。
ムカデが出ると、我が家ではアースジェットをシューっとやって退治していたのですが、小学生だった娘は、当時それをおもしろがってやっていたのですよね。
「シューっという音」イコール「ムカデ」と連想させるほど、それくらいムカデが出没していたってことです。
そんな笑い話もありましたが、とにかく家の周囲の落ち葉を撤去したら、ムカデが出なくなったという事実に大変驚きました。
後で調べてわかったことですが、ムカデは夜行性で日中は落ち葉や倒木などのジメジメした場所にじっと身を潜めています。そして夜になると家の灯りに集まる小さな虫を求めて家の中へ入ってくるというのだから、ぞっとしますね。
庭は、落ち葉や枝を自然のままに置いておけばいいというものではないのです。
きちんと管理し、ムカデやその他の虫が身を潜めるような環境を作らないということが大事なのです。
だってここは山の中ではなく住宅地なのですから。
椿の木の下を片付ける
ようやく椿の木の下のたい積した枝葉を片付ける気力がわいてきました。
だって季節は秋。
もう夏のように暑くもなければ、虫もいない。
庭仕事には快適な季節なのです。
今年の春に、シルバー人材さんに栗の木を伐採してもらった時、椿の木の下に大量に積まれた枝を片付けてもらったのですが、それでもまだこんな状態です。
椿の木は常緑樹ですが、内側になった日の当たらない葉っぱはどんどん枯れて落ちてきます。
また、椿の葉っぱには、あのにっくき害虫チャドクガが巣くうのですよね。
椿の葉っぱの表側はこんなにきれいなのですが、裏側はどうなっているか見るのも怖いので、ひたすら見ないようにしながら作業をしました。
チャドクガは秋に産卵し、その卵は葉っぱの裏側で越冬するといいますから、葉っぱの裏側は見ない、見ない。
そして2時間後、ようやく地面が見えました。
太い幹の横には、椿の脇芽がわんさか出ていたので、これもすべて切りました。
椿の木の下の地面を見たのは、ここに引っ越してきてから初めてだと思います。
片付けた枝葉は、ゴミ袋10袋分となりまたまた累計記録更新です。
時代の流れに合わせて生きていく
父は几帳面でマメな性格だったと思うのですが、なんでこんなに庭木をため込んでいたのでしょう。
それは、昔は剪定した枝や落ち葉を、自宅の庭で野焼きして処分するのが普通だったから。
庭で出た枝葉を、市の有料ごみ袋に入れて出すという感覚は、考えられないことだったのでしょうね。
私が子どもの頃は、周囲は田んぼと畑ばかりだった長閑な場所も、今はどんどん家が建ち並び住宅地となりました。
地球温暖化や環境問題がクローズアップされ、ゴミの出し方も時代とともに変わってきました。
しかし、そんな生活様式の切り替えにうまく乗ることができず、誰の迷惑になるわけじゃないからと、庭にどんどん枝葉をたい積していった父。
そんな庭の様子を私も知っていたのに、すべてを父に任せきりにしていた私の責任もあります。
父が亡くなっていろんなことが自分にのしかかってきて初めて、父が生きている間にもっと聞いておけばよかったなと思うことは山のように沸いてきますが、それも今となってはどうしようもできません。
椿の木の下の枝葉の中から、几帳面に紐で束ねられた枝がいくつも出てきました。
枝は、手に取ると簡単にポロポロと朽ちて粉々になりました。
父は、紐で束ねた枝をどうするつもりだったんだろう。
ただ、無造作に枝葉を積み上げていったわけではなく、最初は丁寧にまとめていこうとしていたのかな。
その理由は、もう聞くことができないけれど。
私は私のやり方でやっていこう。
そして昔のやり方に固執せずに、今の生活に順応した生き方ができるように。
そんなことを考えながら片付け作業をしていたら、落ち葉を燃やすあの匂いも、私は嫌いじゃなかったなぁ・・・なんてことを思い出したのでした。
コメント
そらはなさま、いつもありがとうございます。そら花さんの言葉はいつも色々な想いに心が飛んでいきます。想いが言葉になることで、人は癒されるのだと聞いたことがあります。これからも言葉を届けてくださいね
金色のぞうさんへ♪
言葉って、自分が思っていることと、それを文章にするのって、難しいのですよね。
うまく文章にできないこともたくさんありますが、できるだけ素直な気持ちで綴っていきたいと思っています。
時代に沿って生きるのは難しい───
という言葉、胸に迫ります。
平成13年というと14年前…。
70歳を超えるあたりから、全然違ってくる…というのを聞いたことがあります。
きっと、変化に合わせていくのも、気力体力も。想像を超えたものがあるのかもしれませんね。
70歳迄には必ず!
自分で取り回せる範囲、手に余らないように暮らしをシンプルに縮小しておこう、と思いました。
起きて半畳、寝て一畳ではないけれど。
私たちの時代は より一層変化が大きそうです…。
TM♪さんへ♪
私の姉は、「55歳過ぎると一気に気力・体力がなくなる」と常々申しております。
私もあと3年したら、一気にやる気がなくなるのかなぁ・・・。焦る・・・。
老後は、ワンルームでどこへいっても暖かい部屋がいいなぁ・・・なんてことを夢見ております。
ちょうどわが庭も植木屋さんが剪定中です。
義父もお父様と同じく、樹木を頂いては植えていました。そのうえ年一回の剪定の時も、植木屋さんにあんまり切るなと言っていました。
そうすると小枝が増え、落ち葉も増え、ジャングル状態になってます。
今年はガンガン切ってくださいとお願いしました。
植木屋さん曰く、庭木は大きくしない方がいいと仰ってました。
今回は捨てる枝も多いので、処分費用が高くつきそうです。勿体ないなーと往生際の悪い私です。
ともさんへ♪
わぁ!剪定中ですか!いいなぁ。
捨てるものにお金を払うって、なんだかもったいないって思っちゃいますよね。
うちは、春に頼んだシルバー人材さんが、いまだ来ていません。
雪が降る前に、伐採したいんだけどなぁ・・・。