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【認知症】過去と現在の記憶が混同した時振り回されないようにするためにできること

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3カ月ほど前、母はワラ製の鍋敷きをストーブの上にのせて焦がしました。
幸い、ワラの焦げる匂いにすぐに気づいて大事には至りませんでしたが、その鍋敷きは処分しました。

「新しい鍋敷きを買ってこようか?」と母に聞くと、もうひとつ木製の鍋敷きがあるから要らないとのこと。

キッチンで使っていた厚みのある木製の鍋敷きをリビング用として使うことで、これにて一件落着したかと思われたこの出来事は、3か月経ってから『過去と現在の記憶が混同した認知症の母』によって振り回される結果となりました。

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鍋敷きがなくなった

「鍋敷きがなくなった。いったいどこにやったんだ?」
と訴える母の言葉に、いささかうんざりしながらも、一緒に探すことにしました。
どうせ、いつもとは違う場所に置いて、忘れてしまったのでしょう。

鍋敷きは、いつもリビングのダイニングテーブルの上に置いてあって、ストーブの上でお湯を沸かしたヤカンを一時的に置く場所として使っています。

ダイニングテーブルの上を見渡して、それから窓辺の棚の上、電話台の上、ソファーの上など一通り探しました。
それからキッチンへ行くと、なんとそこに見慣れた木製の鍋敷きがあるではないですか。

溜息をつきそうになるのを呑み込んで「ここに鍋敷きあるよ」と母に言うと、「それじゃない、その鍋敷きじゃない」と言います。
じゃあ、無くなったという鍋敷きはどんな鍋敷きなの?

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金物の鍋敷きがなくなった

すぐさま頭の中に思い浮かんだこと。
母が無くなったと言う鍋敷きは、もしや3か月前に焦がして捨てたワラ製の鍋敷きのことではないだろうか?
認知症の母ですから、ワラ製の鍋敷きを処分した出来事はおそらく忘れてしまったのでしょう。

「無くなった鍋敷きってどういうやつなの?」念のため母に問うと、返ってきた言葉はまさかの「金物のやつ」。
おかしいな。金物の鍋敷きなんてあっただろうか?見たことないぞ?
思わず疑いの言葉をつぶやいてしまったけれど、母は頑として「金物の鍋敷きだよ!」と言って譲りません。

こうなると私もマヌケなもので、カタチを想像できない金物の鍋敷きを探し求めて、さらにシンク下の扉や食器棚の中までくまなく探してしまいます。
なんかおかしい?と感じながらも、母のしっかり、はっきりした口調と譲らない態度を信じてしまうのです。
母が認知症だとわかっているのに。
ほんと、私ってバカ。

しかし、「いったい誰がどこに(鍋敷きを)持って行ったんだ?」という母の言葉を聞いた時、さらに「ヘルパーだべ!ヘルパー、どこに持って行ったんだ?」と言う言葉に私の堪忍袋の緒が切れた!

「ヘルパーさんは勝手にモノを移動させたりしません!ここにはお母さんしかいないんだから、お母さんが鍋敷きをどこかに持って行ったんでしょうよ!」と。

金物の鍋敷きにこだわる

ああ、いかん、いかん。
母に怒ったところでこの問題は解決しないばかりか、お互い不愉快な感情が渦巻く結果となります。

今まで通り木製の鍋敷きを使えばいいのだから、キッチンにあった木製の鍋敷きをリビングのテーブルの上に持ってきました。
ところが母は怒り出しました。

「そんな汚い木の鍋敷きは、ここ(リビング)には置けない。みすぼらしくて嫌だ。それは台所に置いて使うものだ!」と。
そしてやっぱり「金物の鍋敷きをどこに持って行った?」と繰り返すばかりです。

「金物の鍋敷きは見つからないから、今度お店に行ったら買ってくる」ということを母に言って、その場をそそくさと後にしました。
これ以上母と話していると、私がおかしくなりそうだもの。

しかし数分後、母が私の部屋へやってきて言いました。
「鍋敷きがなくなった!どこにやった?」と。

思い出した金物の鍋敷き

実はその後、思い出したことがあります。

そういえば私が子どもの頃使っていた鍋敷きは、金属のものでした。
丸い形で、足には滑り止め用にゴムがついているやつです。

母に金物の鍋敷きの形を確認すると、ドンピシャの正解でありました。

私が結婚して実家に帰省するような頃になると、鍋敷きはワラとか木製のものにかわっていたはずです。
私が金物の鍋敷きと言われてもピンとこなかったのは、もう何十年もそういうものを見たことがなかったからです。

ということは。

ある日、ダイニングテーブルの上を見ると、古くて汚い木製の鍋敷きがある。
なんでこんな汚いものがここにあるんだろう。
私が使っていた鍋敷きは、ピカピカ光る金属の鍋敷きだ。
この木製の鍋敷きは汚いから、台所で使うことにしたはず。
なのに、なんでテーブルの上にあるのだろう?
今まで使っていた金物の鍋敷きはどこにいったのだ?
いったい誰が鍋敷きを持って行ったのだ?

母の視点で考えてみると、こういうことになります。

過去と現在の記憶の混同

認知症になると、体験したことを丸ごと忘れる記憶障害が起こります。
新しい記憶からどんどん失われていくので「記憶の逆行性喪失」とも言われます。

ヒントを与えて思い出させようとしても無駄なこと。
それが認知症なのです。

何十年も前に使っていた金属製の鍋敷きを、今まで使っていたと思い込み、それがなくなったと大騒ぎする。
もちろん、3か月前にワラ製の鍋敷きを焦して捨ててしまったことは、覚えているはずがありません。

母の認知症の症状が顕著になったのは4年ほど前からですが、最近では数分前の出来事でも忘れてしまいます。
しかし、今回のように過去と現在を混同するというのは初めてかもしれません。

きっと今後は、こういうことも増えていくでしょう。
そして毎度のことながら、認知症の母の言動に私が振り回されないようにするにはどうしたらよいか考えました。

ちなみに母が望む金属の鍋敷きはどこにも売っていなかったので、耐熱ガラスとコルクでできた鍋敷きを買いました。
キッチン用には木製の鍋敷き、リビング用にはコルクの鍋敷きがあることで、ようやく母も落ち着きました。

認知症の言動に振り回されないためにできること

新しい出来事が受け入れられず混乱する。
自分は間違っていないと言い張る。
忘れてしまったことを取り繕う。
なんでも人のせいにする。

そんな認知症の人の困った言動とうまく付き合うには

▪同情すること
▪共感すること
▪事実でなくても認めること
▪ほめて感謝すること

だと、とある本には書いていました。

できるかいっ!そんなこと!

教科書的な答えはそうかもしれないけれど、実際に認知症の母を相手にしている私には、絶対できません。
もしもそれができるという方は、もはや神だと思います。尊敬します。

母が突然何かを訴えてくるときは、たいてい混乱しているとき。
その原因のほとんどは、母の記憶障害によるものです。
そんな母の言動を、一瞬でも信じてしまうから、私は振り回されて疲れてしまうのです。

では、母の言動に振り回されないためにはどうしたらよいか?

それは、ふだんから母の暮らす周辺の様子をよく観察しておくこと。
母に何か言われても、日ごろから物事をきちんと見ておけば、理路整然と対処できるはずです。

しかし、私自身の記憶も曖昧で不確かなものです。
なので、写真という客観的なデータに残しておくのもひとつの策かと思いました。

それは、全部を写真に撮る必要はなく、母の周辺で何か変化があった時でいいのです。
例えば、鍋敷きを焦してそれを捨てる時に、証拠として写真に撮っておくとか、キッチンの木製の鍋敷きをリビングで使うようになったことを写真に残しておくとか。

ドライブレコーダーの普及で事故の原因が客観的証拠として残るようになりましたが、写真という証拠を残しておくのはひとつの策かもしれません。

その証拠の写真は、けっして母に突きつけるためのものではなく、あくまでも私自身が事実をきちんと判断できるようにするためのものです。

とかなんとか言いながらも、明日は我が身かもしれない認知症。
自分の記憶も曖昧な今日この頃。
自分のためにも、室内のあちこちの写真を撮って残しておくということは、私にとってもよい方法かもしれないですね。(事件現場か)

 

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