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90歳を過ぎても定期検査は必要なのか?

先日、母が病院で検査を受けました。
どこか具合が悪かったわけではありません。

母は、30年以上前から血圧の薬を飲んでいるので、かかりつけ医で定期的に診察を受け、年に1~2度は検査をしています。

母の検査に付き添って、ふと思ったことがあります。
90歳を過ぎた母が検査を受ける意味があるんだろうか?ということです。

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定期検診を受ける意味

そもそも、検診の目的は、特定の病気を早期発見し、早期治療するためです。
母の場合、長年血圧の薬を服用しているので、それに伴う循環器系の異常がないか、半年に1度は検査を受けているというわけです。

採血、採尿、胸部レントゲン検査、心電図、心エコーが定期検査項目なのですが、検査結果は毎回同じ。
「どこも異常はありません」とのこと。

先日の検査結果も問題なく、これまで通り同じ薬を処方されました。

90歳を過ぎた母。
1時間以上も待合室で座って待ち、検査のために衣類を脱いだり着たり。
医師や看護師に言われる言葉は理解できないため、私がずっと側で介助するのですが、この定期的な検査は母にとって必要なんだろうか?という思いが、ふつふつとわいてきました。

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検査の弊害

その日は、病院が混んでいたというのもありますが、1時間以上も待合室で待つのは、私でも疲れました。
ましてや母は90代。
とても疲れたと思います。

さらに検査と診察で1時間。
しかも、当の本人はなにをやっているのか理解できるはずもなく。
言われたままに服を脱ぎ、言われるがままにベッドに横になり、衣服の着脱だけでも時間がかかりますから、終わるころには疲労困憊だったでしょう。

しかも、母はどこか具合が悪いところがあるわけではないのです。
病院の定期検査を受けることで、逆に疲れて具合が悪くなるのなら、なんのための検査なのか、わかりませんよね。

90代という年齢で

仮に、検査で何か異常が見つかったとします。
しかし、90代という年齢は、余命が短いというのは明確です。
これ以上、さらに検査をしたり、治療をするとしても、延ばせる余命はわずかでしょう。

ましてや、母が検査をすることを望んでいるわけではありません。
定期的に処方してもらう血圧の薬をもらうため、3~4か月に1回は医師の診察を受け、年に1~2度は定期検査をするのがこれまでの流れなのですから、私は病院の指示に従い、母は私に言われるがまま病院に連れてこられる・・・のです。

母が定期検査を受ける意味ってなんだろう?と、考えてしまいました。

私の罪悪感

結局、病院側は薬を処方する以上、診察や検査をしなければならないのは当然なのでしょう。
それが病院の使命であり義務でもあります。

でもそれは、年齢によって大きく違ってくると思うんですよね。
90歳を過ぎた母には、家でゆっくり過ごしてもらいたいのです。

何か症状があれば別ですが、どこも具合が悪くないのであれば、もう検査は要らないんじゃないかな?とさえ思っています。

だけど、私も病院と同じく使命と義務があります。
もしも私の独断で母の検査をやめ、その後何かあった場合、「あの時検査をしていればよかった」という罪悪感に襲われることを恐れています。

自分で判断して自分で納得できれば一番良いのでしょうが、認知症になればそれもできません。

結局、何が正解かわからないまま、本人の意思とは関係なく、検査を受けさせている私が、もっとも罪深いのかもしれませんね。

 

コメント

  1. シマリス より:

    そらはなさんが罪深いわけではないと思いますよ。

    本人の意思の有無とは関係なく、今の医療システムでは仕方ないのかなと思います。
    負担が減るようなシステムに変わっていくと良いですね。

    介護する立場としては、ベストを尽くしても後悔が残ると聞きます。
    同じ残る後悔なら、少しでも軽い方が良いのかもしれません。

    • そらはな より:

      シマリスさんへ
      出歩くのが困難な高齢者は、特に症状がなければオンラインで診察して薬を処方してくれたらいいのになぁ。
      将来は、そうなるのかもしれませんが、まだまだ先は長そうです。
      おっしゃる通り、どんなに手を尽くしても後悔は残ると思います。
      自分の心を軽くするために最善を尽くすしかないのだと思っています。

  2. かはら より:

    はじめまして!
    私も昨日、90代父の検診に同行し全く同じことを感じたのでコメントさせてください。

    居住地の、年に一度の高齢者検診なのですが、父は認知症、高齢性難聴があり、毎年病院から家族同行を求められます。
    祝日前日で病院は激混み、予約したのに1時間待ち、検査と診察で1時間、ひたすら待ちながら、果たしてこの検査は必要なのだろうか??と思っていました。

    というのも、父が80歳過ぎの頃に消化器内科で異状が見つかった時、その専門医から「この病気では一般的に、80歳を過ぎて手術はしません」と言われたことがあります。大きな手術になるので体への負担が大きく、術後の認知症進行や筋力低下で寝たきりになるリスクが大きいと説明を受け納得しました。

    その後、進行もなく過ごしていますが、今回のように別の高齢者検診で引っ掛かったら、治療、手術、投薬など、どのようにするのが本人にとって良いことなのだろうか? 家族はどう判断すれば良いのか? そうなるとそもそも検査を受ける意味とは??と。

    もちろん、高齢者検診を否定しているわけではありません。

    • そらはな より:

      かはらさんへ
      コメントありがとうございます(#^^#)
      同じような思いをされている方がいて、なんだかうれしかったです。
      高齢になると、異常が見つかっても、検査、手術による侵襲のリスクが大きいので、経過観察となることが多いですよね。
      うちの母は、どこも痛いところもないため、なおさらなんのために検査をしているのか?いろいろ考えるところがありました。
      私自身が、80代、90代となった時、その判断はやはり難しいだろうなぁと思います。
      本人に負担がないのが一番なのですが、なかなか理想通りにはいきませんよね。

  3. 白雪さくら より:

    検査、必要か不要か?といえば「必要」(少なくとも「不要」とは言えない)でしょうけれど、検査で得られるメリットと、お母様とそらはなさんの時間や心身の負担等のデメリットを考えると、もう少しなんとかならないかなあ、と思いますよね。
    できることなら、そういう疑問や不安、もやもやした思いを、検査をしてくださるお医者様に打ち明けられたらいいのですが。良心的なお医者様なら、患者家族のちょっとした心の動きを無視したりしないで、きちんと説明してくださるはずだし、そうしたいと思っておられるはずだと思います。
    ただ白雪が考えるに、検査の目的は早期発見・早期治療だけじゃなく、たとえば長年薬を服用している高齢者の場合副作用が出ていないか確認して出ているようなら調節するとか、あるいは状況把握して万が一のための備えができるようにするとか、そういうのもあると思うんですよね。
    だから、できることなら、担当のお医者様に相談できればいいと思います。罪悪感を抱えて「これって必要なの?」「かえって体調悪化するんじゃないの?」と悶々としながら通院するのは、お母様もそらはなさんも、そして検査する病院関係者にとっても、望ましいことではないと思うので・・・。

    そして、もし定期検査で異常が見つかったら、どうするか・・・精密検査や手術、そしていわゆる「延命治療」、認知症で御本人の意思確認が難しい以上、介護家族にのしかかってくる問題でもあります。
    たぶん、そらはなさんの中では方向性はなんとなくでも大体あるんだろうと思いますが、いざ、となると、本当に難しいですよね。
    お母様ご自身とストレートにこの話題で話し合うのは元気なときでもハードル高いけど、元気なときのお母様の価値観、また認知症になってからの今までの生活の中での積み重ね、そして現在のお母様のご様子等々から、お母様とそらはなさんにとっての「最適」を見つけていくことになると思います。お姉様や旦那様、お子さんたちとも話しておいて、みんなが納得できるような「最適」を見つけたいですね。正解はないけど、あるとすれば「考えて、話し合っておく」こと自体だと思います。答えは出ないから「早すぎる」ということもないけど「遅すぎる」こともないものだと思います。

    ああ、いつもいつも、余計なお世話を長々とスミマセン(滝汗
    そらはなさんが、ご自分の選択・決断・行動(通院とか)に少しでも「これでいい」と思えますように!

    • そらはな より:

      白雪さくらさんへ
      そうなんですよ。検査を「不要」とは言えないところが、なんとも現実と見合っていないというか・・・。
      かかりつけ医にも相談してみようかな、と思ったのですが、たぶん話したところで、医師としての立場上は「不要」とは言えないだろうし。
      でも、せめて検査は年に1回でもいいのでは?なんてことも思っているので、次回様子をみてお話してみようかな、とは思っています。
      そして、もし異常が見つかった場合でも、やはり医師の判断にまかせることになると思っています。
      おっしゃる通り、病院側と相談できなくても、家族とは相談できますもんね。
      私ひとりで抱えなくても、家族で共有すればいいのですもんね。
      ちょっと前が明るくなりました。
      余計なお世話だなんて、とんでもない。
      いつもありがとうございます(#^^#)

  4. かーこ より:

    そらはなさん
    私の母も80後半で、いわれるがままに検査を受けていましたよ。
    突然、具合が悪くなり病気が見つかり、今すぐ手術しないと死にますが、手術すれば治ります。高齢なので手術するかしないかは家族で決めて下さいと言われました。
    本人とは集中治療室で会話ができず、延命治療はしないとの書面はありましたが、弟が手術して治るのなら、延命治療には当たらないのではないかとの意見もあり、手術する事に。
    手術は成功しましたが、車椅子生活で介護施設へ、コロナ禍で面会ままならず。そのまま可哀想な最期でした。
    集中治療室で意識のないまま、死なせてあげた方が、本人は楽だったのであろうと思いますが、人の死の決断は出来にくい。
    老人に過度な医療は、海外では虐待だとも言われてます。
    ご家族で、もしもの手術について、よく話し合った方がいいですよ。入院すると歩けなくなる事が多いです。 
    母は認知症ではなくて、施設がとても辛いようでしたが、認知症の姑は車椅子生活が苦にならないみたいで、長生きです。

    • そらはな より:

      かーこさんへ
      経験談は、とても参考になります。
      ありがとうございます。
      高齢者が入院すると、そのまま歩けなくなると言うのはよく聞きますよね。
      家族でよく話し合ってみます。
      そして、自分の行く末も考え、これも子どもたちと話し合っておきます。