先日、姉が実家に来たときのこと。
父の一周忌の日時をいつにするかと話をしていると、そばで話を聞いていた母が言いました。
「まだ1年経っていないなんて信じられない。(亡くなったのは)もう何年も前のことのようだ」と。
そして、父が亡くなった日の朝のことを話し始めました。
その内容は、思わず私が「ちがうよ!」と否定してしまうほど、違った記憶として母の頭の中に植え付けられていました。
父に話しかけた母に心底驚いた
あの日の朝、「胸が苦しい」と言った父を車で病院へ運んでから1時間足らずで、父は帰らぬ人となりました。
家で待っている母が病院へ到着するまでの間、せめて心臓マッサージを続けてくださいと医師にお願いした私。母が病院へ着いた時に「もう亡くなりました」なんていうのでは、あまりにも母がかわいそうだと思ったから。
父の顔はとっくに土色で、医師の心臓マッサージに合わせて父の身体が上下に動いている状態だったのに、そんな父に向って母の第一声は
「お父さん、なにこんなところで寝ているの?」でした。
「さぁ!家に帰ろう」とも言ったと思います。
母の気丈さに心底びっくりしました。
私は、ただただハラハラと落ちる涙をぬぐうので精一杯で、父には一言も声をかけることができなかったのに、母は父に向ってちゃんと語りかけたのですから。

母の塗り替えられた記憶
姉と一周忌の日時について話をしていると、「(亡くなってから)もう何年も経ったように感じる」と母が話し始めました。
「あの日の朝、お父さん、そこのソファーに座っていてね・・・胸が苦しいって言ってて・・・そしたらあっという間だったもんねぇ」
それから母は自分の記憶を辿るように確かめるように、父が亡くなったときのことを話し始めたのですが、父が亡くなった時の最期の瞬間の記憶が、母にとって「良い記憶」として書き換えられていることに、驚きました。
母の話を整理してまとめると以下のようになります。
母が病院へ着いたとき、父はベッドの上に寝ていて、母のほうへ向かってゆっくりと手を挙げた。母が「お父さん、なにこんなところで寝ているの?」と言うと、父は目を開けて母を見た。母が父の手をにぎると、それから父は息を引き取った。
あまりにも話しが塗り替えられているので、とっさに私は反論してしまいました。
「ちがうよ!あの時、お父さんは心臓マッサージを受けてたんだよ。お母さんが病院に着くまでマッサージをしてもらっていたけど、そのときはもう亡くなっていたんだよ」
すると母が、顔を真っ赤にして怒ったように、でも少し泣きそうな表情で声をあげました。
「なんにもだ!私、ちゃんと見たもの!お父さんが手をあげてこっちを見たもの!」
再び母に反論しようとした私に、姉が目くばせをして「いいから、いいから。そうだったんだってば。よかったね、お母さん。お父さんと最期にちゃんと会えてよかったね」と母に言うと、母は安心したように言いました。
「本当によかったよ。最期にお父さんの顔を見れたから。お父さん、目をあけてこっち見たもん。間に合ってよかったよ」と。
記憶の塗り替え
人の記憶ほど曖昧なものはないと言います。
以前テレビで見たのですが、大学で授業を受けている学生たちにとある実験をしました。
講義の最中に教室に一人の男が入ってきて、教授の机の上に置いていたカバンを持って逃げてしまいます。もちろんカバンを持ち逃げした男も教授も仕掛け人。何も知らされていないのは学生たち。そこへ警察がやってきて、学生たち一人ひとりに逃げた男の特徴を聞くのですが、実は犯人が逃げたときに教授が学生たちにある記憶の植え付けをするのです。
「みんな、今逃げた男の特徴を覚えているか!?男は髭があって髪は短かったよな。白のシャツにズボンは青だったよな。」などと大声で学生たちに確認をします。
すると、警察に一人ひとり呼ばれた学生たちの大半が、教授が話した男の特徴通りの説明をしたのです。
実際には、逃げた犯人は髭もなければ髪も長め。シャツは白でもなかったし、ズボンの色もちがっていた。学生たちは自分の目の前でカバンを持ち逃げする男を見ていたというのに。
大人になってから何十年ぶりかのクラス会で、相手が鮮明に覚えている出来事を自分はまったく覚えていなかった・・・という経験はありませんか?
それが楽しい記憶か嫌な記憶かは別としても、人間というのは、次第に嫌な記憶は忘れ去り、楽しかった記憶はいつまでも残るということが多いのだそうです。
幸せに生きていくために、人間の脳はなんて都合よくできているんでしょう。
認知症とは幸せなことなのかもしれないと思う
80代の母は、軽度認知障害です。
まだ日常生活は自分でできますが、記憶障害は多々あり、ことさら新しい記憶は覚えることができません。母なりに一生懸命メモとして記録しているので、メモに書いたことは何度も繰り返すうちに少しずつ記憶として定着していくような感じは見受けられます。
逆に言えば、メモに書かなかったことはすべて忘れていきます。
先日私がインフルエンザになったときも、「インフルエンザになったから仕事〇日まで休むよ」と母に伝えたのですが、翌日には覚えていませんでした。
「あんた、今日は仕事休みなの?」と母が聞くので「インフルエンザになったんだよ」と言うと「えええっ!」と驚く母。
「昨日話したの、覚えてる?」と聞くと「知らない!」と堂々と答える母。
さらに翌日も私と母は同じ会話をしました(笑)。
85歳以上の4人に1人は認知症だとも言います。
平均寿命が延び、多くの人が老化と向き合わなければならない時代となりました。
自分の生きてきた証である記憶が徐々に失われていく脳の老化は、なんてやっかいで嫌な病気なのだと思っていましたが、最近はちょっとちがう見方ができるようになりました。
母の記憶の塗り替えがいずれ認知症に移行する記憶障害のひとつであるならば、それが都合よく書き換えられたのは母にとっては幸せなこと。
「父が最期に目をあけて母を見つめ、挙げた手を母が握った」ならば、もう私がそれを否定する理由はどこにもありません。
そうでした。
認知症の人と関わる大原則は、その人が生きている世界を否定しないこと・・・でした。
思わずむきになって否定してしまった私は、まだまだ未熟者であるのだと再認識した最近の出来事でした。
逆に・・・、私が覚えている記憶が確かだという証拠もどこにもないのですよね。
父は、最後に私たちを見つめ手を振ってくれた。
私もそう思えたら、幸せなのかもなぁ・・・。
コメント
こんばんは。
そらはなさんの怒り、とってもわかります。
私も母が何度も同じ話をすると、なんでかわからない怒りというのか、イライラがこみ上げてきます。
間違ったこと、くどいことは高齢のせいで、仕方ないと冷静な自分がいる一方、なんで!どうして!という感情が爆発します。あの怒りはどこから来るのでしょうか?不思議です。
そらはなさんは、お父さんが急に亡くなられた場面が、とても深い心の傷になってみえるのではないでしょうか?これまで色々なことに、一生懸命取り組んでこられて考える暇もなかった。
だから普段ならそうだねと応対できても、できない場面だったのかもしれませんね。
当たり前だけど、介護者も1人の人間です。
怒りたいとき、泣きたいとき、あって当たり前です。お母さんに強く言ったことで自分を責めないでくださいね。
お父様の最期が、お母様も認知症が進むほどのショックだったかもしれませんね。
受け入れ難い事実を心の中で否定し続けるうちに、内容が変わってしまったのかもしれません。
そらはなさんのおっしゃる通り、お母様の中での記憶が変わることで穏やかに過ごせるなら、本当に幸せなことかもしれません。
介護は身近な関係であるほど、大変だと思います。他人なら冷静に見れることも、情や怒りや悲しさがくっつきますよね。
過去や未来を憂いても苦しいだけ。今だけを見つめて歩いて行こう!と自分に言い聞かせてます。
長々と失礼しました。
ともさんへ♪
母には事実をきちんとわかってほしいという気持ちから、ついついむきになって言い返してしまいましたが、そんなことをしても無駄なだけだったと、後になってから気づくのですよね。
毎回毎回そうです。だめですねー。なんか進歩してなくて・・・。
結局、父の最期に立ち会ったのは私一人だったわけで、それを正しく伝えたいという思いがいつもどこかにあって。
だけど、そんなことは重要ではなくて、父がどういう生き方をしてきたのか、それぞれの心に遺っているものがあればいいのですもんね。
おっしゃる通り、過去を憂いても苦しいだけ。未来のことは誰にもわからない。
だから今を懸命に生きる。本当にそれだけですね。
いつもいつも適切なアドバイス、ありがとうございます。
こんにちは(^^)
私の母も 亡くなってる叔母がさっきまでここにいて 一緒にご飯食べたとか 認知症になってからは いろんな話が飛び出してきました。
でも 私は
母には本当にそう見えたに違いないって思いました。
それが 脳の病気の為だとしても
母にはそれが事実なのだから
いいんじゃないって思いました。
だから ありえない事でも
おばさん来てたんだね〜とか返事しました。
私、そらはなさんのお母様には本当にお父さんが手を伸ばした様に思えました。
現実にはありえないけど
大事な妻に手を伸ばしたかった思いが お母様には見えたのかなって
だとしたら すごい 素敵!!
夫婦愛って なんだかんだ言っても
絆があるんですよね〜╰(*´︶`*)╯♡
すみません 夢物語が好きなもんで…(笑)
しろみさんへ♪
なんだか胸がきゅんとしてしまいました。
そうかー。母には本当にそう見えたのかもしれませんね。
子どもにはわからない夫婦の絆かぁ。そう思えば、なんだか幸せな気持ちになります。
まだまだ未熟モノですが、母と向き合うことで少しずつ成長していければいいなぁ。
しろみさんのお母様も、最後はきっと幸せだったことでしょうね。
親の認知症を受け入れるのはものすごくたいへんなことでしょう。
が、空花さんは、お父様の臨終のときのこと、本当はお母さまにこそ、たいへんだったね、よく一人で頑張ってくれたね、と労い慰めてほしかったのじゃないでしょうか? あんなにご自分を責め傷ついてらっしゃるのだもの。
それなのに、それどころかものすごくヒドイことを言われちゃった。だけどそれは病気のせいなんだから仕方ない、理解して謝ってくれることも望めない、と呑み込んでらっしゃる。
だから、そのことに関わる場面では我慢していたものが噴き出しそうになるのではないでしょうか?
私の経験なんですけど…
我慢したつもりでも、結局抑圧しただけで乗り越えたことにはならないんですね。ふとした弾みで出てきて、苛むんです。
私の場合、母にわかって欲しかった。わかって、不憫なことをしてかわいそうだったねと認めて欲しかった。
でも今更それはない!
母は認知症でこそありませんが、
往々にして された方は忘れないが した方はサッパリ忘れるもの(笑)。そして相手は年老いて、あのときとは同じ人であっても 同じではない。で、今も次女と共依存のようなままですから。
我慢するしかないと頭は理解していても心がついていけず途方にくれる私に、ある方がくれた助言です───
ノートを一冊用意して、相手に対して心に浮かぶまま全てを吐き出す。全て。どんなひどいことでもためらわず恐れず書く。自分しか見ないのだから。書くことがなくなるまで書き続ける。気がすむまで。
そうして 自分の気持ちを ‘ 感じ切り ’ 自分自身が ‘ 納得 ’ するときがくる。
そうしたら払拭できて、それが ‘ 許す ’ ことに繋がるよ、と。許せたら、我慢や抑圧ではなくなるのです。
私、今現在取り組み中です。何十年に渡るものをはっきりと認識したのが割と近年、ノートを始めたのは去年ですので 時間がかかっています。が、少しずつラクに穏やかになっているのを感じています。
そのノートの経過を誰かにずーっと聞かせ続けるのでは相手にも気の毒過ぎるけど ( カウンセラーとかの役目? )
すっかり整理がついた心の経過を、一度お願いして信頼の置ける方に聞いてもらうのはいいんじゃないかと思います。
生身の人間に受け止めてもらえるって大切な気がするのです。
迷ったけれど、面識がないネットの中のお知り合いだからこそ書けました。
実生活に関わりがある場合と違って、要らぬお節介ならばスルーしてしまえるから。
そんなつもりで書きました(^o^)/
TM♪さんへ♪
結局私は、母にどうしてほしいのだろう・・・と考えました。
事実をありのまま認めてほしい・・・のかな。だけど、だんだん記憶が消されていく母。それは母のせいでもないし、どうしようもないこと。
そして、母がたとえ記憶を塗り替えても、今の時点では誰に迷惑をかけているわけでもないし、私がそれを受け入れたらそれでいいのかな・・・とも思いました。
その時は、「ああーっ!もう!」とイライラしてしまいますが、けっこう過ぎると、まぁ、いっかぁと忘れるものです。
だけど、どうにも感情を抑えることができなくなったら、ノートにとりあえず殴り書きするのは、いいですね。自分の気持ちも整理できますし。
これからも一歩一歩進んでいくしかないのでしょうけど、毎日、今、できることをするしかないのでしょうね。
いつもいろいろなアドバイス、ありがとうございます(#^^#)