父が急逝し、母が一人暮らしをするようになってもうすぐ4年。
認知症の症状である記憶力も徐々に低下してきているものの、母はまだ一人暮らしができています。
ただし、これは週に3回のヘルパーさんのお手伝いと、二世帯住宅で暮らす私のかかわり方で、ようやく成り立っているといったほうが正しいです。
母は今も「一人でできる(暮らせる)」と言いますが、日常生活をする上で母ができないことは多々あります。
高齢者が一人暮らしをする上での、小さな困りごとは意外とわかりにくいものです。
食生活に関する困りごと
▪温めるだけのレンジも使えなくなってきた
▪食材がなくなりそうだと予測することができない
▪賞味期限が判断できない
▪お皿がきれいに洗えない
父が亡くなってから、母は買い物をすることを放棄しました。
思考力、判断力が低下したため、お店に行っても何を買ったらよいかわからないのです。
それでも、ご飯を炊いたり味噌汁を作ったりといった、簡単な調理はできるので、生協のカタログから私が適当に食材を選んで注文しています。
週に3回、ヘルパーさんがお昼ごはんを用意してくれます。
私が仕事が終わってから作る晩ごはんを取り分けて、母へ持っていきます。
週に2回、お弁当を買って母へ届けます。
あとは母が自分でトーストや果物、時にカップラーメンなどを食べています。
冷凍庫に入っているものは、牛丼の具やレンジでチンするだけのお魚とか冷凍コロッケとか。
しかし、昨年あたりから、それらをどうやって使ったらよいかわからなくなってしまいました。
結局は、ヘルパーさんか私がそれらを利用して母へ食べてもらうことになります。
食材や調味料などが残り少なくなったから、買い足す、という判断力はありません。
すべて使い切っても、買わなければ、という考えには及ばないようです。
次回使おうとした時に初めて、無いということに気づきます。
冷蔵庫に入っている食材も、入っていることすら忘れてしまい、賞味期限が切れてもそのまま残っていることが多くなりました。
私が母へ取り分けたおかずは、後日母がお皿を洗って返してくれるのですが、汚れは落ちていません。
視力が低下しているので、お皿の汚れも見えないようです。
日常生活全般の困りごと
▪電話をかけることも困難になってきた
▪蛍光灯が切れていてもわからない
▪当然のことながら電化製品の不具合には対処できない
▪洗濯機が使えなくなった
▪訪問者の声やチャイムの音が聞こえない
▪月に1度の新聞の休刊日には「新聞が来ていない」と大騒ぎする
▪一人で入浴できない
燃えるゴミ以外のゴミの分別ができなくなりました。
瓶や缶、プラスチックゴミなどは、車庫に分別しているのですが、すべて同じところに置くようになりました。
先日は、乾電池も瓶や缶と一緒に捨てられていました。
電話のプッシュボタンの文字が小さくて見えないと言っていますが、実際は電話機の操作方法もわからなくなってきたように思います。
蛍光灯が切れそうになってパカパカいっていても、気づきません。
当然のことながら蛍光灯の交換なんてこともできません。
テレビが壊れたというので見てみると、B-casカードが抜けていることが何度もありました。
目覚まし時計が動かない、ウォシュレットがおかしい、テレビのリモコンが動かないなど、すべては乾電池を交換すればよいのですが、それすらできなくなりました。
洗濯機を使わず手洗いしています。
洗濯物が少ないから洗濯機を使うのはもったいないと、言っていますが、以前は洗濯機を使っていたのですから、明らかに操作ができなくなったのでしょう。
耳が遠くなり、テレビの音を大音量にしているので、玄関のチャイムの音も訪問者の声も聞こえないことが多々あります。
不在連絡票や、玄関に置かれた回覧板をみて「声もかけずに置いていった」と怒っていますが、そうでないのは明白です。
毎月1度の新聞の休刊日には必ず「新聞が来ない」と大騒ぎします。
前もって説明しても忘れてしまうので、その日、その時説明するしか術がありません。
実家の浴室は寒いうえ、母が一人でお風呂の準備をしたり、浴室掃除をするのは困難なので、2年前から私の家で母をお風呂に入れています。
身体的な困りごと
▪定期的にかかりつけ医に受診していることすら忘れている
▪美容院で髪をカットするのも自発的に行えない
左膝のサポーターに加えて、右膝にもサポーターをつけたいと母が言うので、すぐに買ってきました。
「すごく歩きやすい」と喜ぶ母に「よかったねー」と言った翌日、「サポーター買ってきて」と言われた時の脱力感といったら!
サポーターを買ってきたことも、実際につけて歩いたことも、母は忘れていました。
毎日飲んでいる薬が残り1日分になっても、母は薬をもらいにいくという考えには至りません。
自分がいつ受診しなければならないか、なんてことは考えたこともないでしょう。
薬を飲んでも飲まなくても、日常生活で母が困ることはひとつもないのですから。
自発的に美容院へ行くということもしません。
鏡をみて髪を整えるなんてことは、おっくうになってしまったのでしょう。
視力も悪いので、鏡で自分の姿をまじまじと見ることもないのでしょう。
母の姿は自分の鏡
高齢の親が一人暮らしをしているとなると、食事や清潔の保持はどうするか、というところをまず考えるものです。
そこで、介護サービスを利用して、食事や掃除、入浴サービスなどを受けられるよう手配するわけですが、実は日常生活の中での困りごとは、些細なものがとても多いと気づかされます。
母は乾電池の入れ替えすらできないわけですが、私が二世帯住宅でそばにいるからこそ、対処できています。
もし、遠く離れて暮らしていたら、蛍光灯が切れた、リモコンが動かない、など、こういった小さな困りごとはどうしていたんだろうなぁ、と考えることがしばしばあります。
そして、こんな母の姿は、自分のこの先の姿を映し出す鏡でもあるわけです。
理想は、最期まで自宅で過ごし、野菜を育てたり花に囲まれた暮らしがしたいけれど、そんな考えも自分の身勝手な考えになってしまうのでしょうか。
夫と2人でいるうちは、まだお互い助け合ってなんとかできるかもしれませんが、どちらかが先に死んで一人暮らしとなった時には、潔く施設に入ったほうが賢明かなぁと、母を見ていると思ったりします。
いくら「自分はまだできる」と思っていても、小さなできないことはどんどん大きくなっていくものですからね。
自分で判断できなくなる前に、自分で自分の行く末を判断できたらいいのですが・・・。
コメント
福岡より、わっこです。
夏に一度コメントした以来ご無沙汰でしたが、ずっと引き続きブログは読ませていただいていましたよ(^_-)-☆
父が逝って、姉と私が嫁に行き、我が母も一人暮らしが17年目になりました。
夏頃より、物忘れが増えてきたなと思っていたら、最近さらに忘れることが増え、同じことを何度も言うようにもなりました。
車で15分ほどの所に住んでいるので、頻繁に様子を見には行けますが、一人で暮らせるのもそう長くはないのでは・・・と感じているところです。
「母の姿は、自分のこの先の姿を映し出す鏡」とのそらはなさんの言葉、まさにその通りだと私も感じています。そして、母も私に対し、自分の姿からから老いを学んでおけよと言っているようにも感じられます。
そらはなさんのお母様の話は、私の母がこの先老いていく姿を想像する参考になり、とってもありがたいです。また、愚痴も含め、色々聞かせてくださいませ。
わっこさんへ♪
こんにちは(#^^#)
お母さま、17年間一人暮らしですか。すばらしいですね。
認知症になるならないは別としても、物忘れの症状は老化のひとつでもありますから、多かれ少なかれ出てきますよね。
親の意思を尊重するのと、子どもの心配を解消するため行うことって、目的は同じでも、現実はかけ離れていくものなのかもしれませんね。
難しいです。
高齢化社会で介護という問題は、まだ始まったばかりで手探り状態なのだと思います。
私の愚痴でよければ、いつでも!(^^)!
お久しぶりです!
日常生活でできない小さなことって、ありますよね~~~(笑
義母は要介護2ですから、もっともっとあります。
目が離せないので、なかなか外で働きに行けない、これを引きこもりと政府がカウントしているかと思うと納得できませんが、仕方ありません。
実母は今月から施設に入居しました。弟が探した施設は月12万、年間150万かかります。
母は年金と保険の年金を合わせて月に15万ほど収入があり、貯金もなんとかあるので家族に負担はかからなそうです。
義母も私がいるので、今のところ在宅でなんとか過ごせていますが、私がいなかったら施設へ入居することになるでしょう。ただ貯金も少なく、年金も少ないので家族が負担することになるでしょう。
実母は節約家で、自分のものはほとんど買わない人だったので、貯金や年金があり、それを自分のために使うことになります。
自分の将来のことは、誰にもわかりませんが、貯金はあったほうがいいなあと思う今日この頃です。
でぶねこさんへ♪
お母さんの施設、月に12万円ですか。
そのほかにもいろいろ負担があるんでしょうか。
親の介護費用は親のお金で・・・が基本だといいますが、年金も少なく貯金もあまりなければ、どうなるのでしょう。
私も、先のことを考えてせっせと貯金するに限る・・・だと思いました。
ただ、それらを自分でなにも使わずに死んでしまっても、なんだかむなしくなってしまいますね。
自分の寿命がわかるといいのにな・・・(^-^;