庭の片隅にふきのとうが顔を出しました。
毎年、ふきのとうを見ると春の本格的な訪れを感じます。
そして、その春の知らせがおいしそうに見えて、食べずにはいられません。
今年作ったふきのとうの天ぷらは、昨年よりもとてもおいしくできました。
ふきのとうを摘み取る余裕
春の訪れとともに、我が家の庭に顔を出すふきのとう。
これを摘み取って食べるようになったのは、昨年から。
ふきのとうって、ようやく地面の上に顔を出したかと思うと、あっという間に成長するんですよね。
だから、ふきのとうとしておいしく食べられる瞬間を摘み取るということは、庭をよくみていないとできないこと。
以前の私は、庭にふきがあることは知っていても、ふきのとうを見る時間も、それを摘み取って食べるという心の余裕もありませんでした。
子育ても一段落した今は、花や草や木を鑑賞する余裕も出てきました。
とにかく今は、これまで見えなかった、見てこなかった、見過ごしてきた我が家の庭の風景を目で見て肌で感じて、触れあいたい、そんな気持ちがとても大きいのです。
ふきのとうの下処理
さて、お店に売られているふきのとうは、ツボミが固く閉じられていますが、栽培ものが多く、アクも少な目。
対する天然のふきのとうは、葉っぱが開いていても、おいしく食べられます。
が、路地ものなので土やゴミがたくさんついています。
昨年、初めてふきのとうを摘み取って、天ぷらにしていただいたときの夫と娘の感想は、ビミョーでした。
あんまりおいしくない、だの、なんか土臭いだの、さんざん言われ、残ったふきのとうの天ぷらを、最後は私が全部いただきました。
言われてみれば、畑から摘み取ってきたふきのとうは、ささっと水洗いしただけでしたので、土埃がきちんと取れていなかったと、後になって反省。
なので、今年は丁寧に洗うことを心がけましたよ。
まずはふきのとうをさっと洗ってから、ボウルに水をはり、そこへ1〜2時間ほどつけておきます。
ふきのとうはアクが少ないといいますが、土埃をきれいに落とさないと、やはり味はいまいち(当たり前)
ふきのとうの葉の一部が枯れたように黒くなっているのは、空気に触れた部分が酸化したため。
この黒さは、良質な天然物の証拠でもあります。
ただし、この黒い葉っぱの部分は取り除きます。
ふきのとうをしばらく水につけておいただけでも、こんなにも土埃が出てきました。
さらに水をとりかえて、ふきのとうを振り洗いしてから再度水につけます。
この作業を4回繰り返したところで、ようやく水がきれいになりました。
ザルにあげてよく水気を切って、これで下処理が完成です。
他の山菜とちがい、アク抜きなど必要ないと言われるふきのとうですが、水にさらす時間が長ければ、さらに味がマイルドになります。
また、いかに土埃を丁寧に取り除くかってところが、おいしさを分ける重要なポイントとなります。(←おまえが言うなってところですが)
ふきのとうの天ぷら
ふきのとうは、そのほろ苦さが春の訪れを感じさせてくれる一品。
天ぷらにすることで、油がほろ苦さをコーティングしてくれ、美味しく食べることができます。
天ぷら粉に、卵を混ぜて作るやり方もありますが、これだと衣が重くなって私はあまり好きではありません。
ふきのとうの天ぷらは、サクッと軽い揚げたてをすぐに食べるのが、おうちごはんの最大の魅力。
市販の天ぷら粉などなくても、薄力粉と片栗粉で簡単にサクッとした衣がつくれます。
■薄力粉 1/2カップ
■片栗粉 大さじ1杯
■水 75ml
■お酢 大さじ1杯
■塩 ひとつまみ
ふきのとうは、花の部分を少しつぶしてから揚げたほうが、火の通りも均等になります。
揚げ方は、こちらを参考にしてます。
ふきのとうの天ぷら『きれいに揚げるコツ』 by cocotys
サクッ、カリッ、ほんのりとした苦さが、春を感じる一品で、おいしい。
下処理をしっかりしたおかげで、夫からも
「すごいうまい!」をいただきました。
山菜を食べる贅沢
「子どもの頃、ふきのとうって食べてた?」
と、夫に聞かれました。
夫の実家も自然豊かな野山に囲まれ、ふきのとうはその辺にいくらでも生えていたそう。
だけど私も夫も、子どもの頃、家でふきのとうを食べたことがないのですよ。
こんなにおいしいもの、なんで食べなかったんだろうな。
なんでだろう?
と、夫とあれこれ推察しました。
もしかして、私達の親世代は、その辺に生えるふきのとうを食べるということは、戦中戦後の貧しい時代を思い出し、豊かになったその後にわざわざ食べるものではないと思っていたのかもしれません。
私も子どものころは、ふきのとうのおいしさなんてわからなかったですしね。
今、この歳になってようやく、食の楽しみ方は、旬の食材をほんの少しの手間をかけて、時間をかけて下処理して、だからこそおいしくいただけるのだということに気付きました。
子育て真っ最中の時は、とにかく短時間でボリュームあるものを子どもたちに食べさせるのに必死でしたから、山菜を自分で下処理して・・・なんてことはしませんでした。
というより、できなかったです。
もちろん近所からあく抜きした山菜はいただくことはあっても、自分では絶対に買わない食材でしたもんね。
山菜は自然が作り出した豊かな食材です。
これをわざわざ買ってまで食べたいと思うようになったことが、年をとった証拠でもあり、今では何よりも贅沢な食べ物だと思っています。
これから山菜がますますおいしい季節になりますね。
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