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百段階段よりもホテル雅叙園東京に驚いた日

先日、目黒にある雅叙園がじょえんの【百段階段】へ行ってきました。

昭和初期に建てられた木造建築は、かつて宴が行われた7部屋を99段の階段廊下でつないだ東京都有形文化財。

各部屋の天井や欄間には、著名な画家達の絵が描かれているうえ、部屋の装飾は破格の豪華さだと言われているので、まさに美術館のようなものですよね。

しかし私、百段階段よりも驚いたものがありました。

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百段階段へ行く

友人が「百段階段へ行こう」と誘ってくれたので、訪ねたのですが、実は私、百段階段というものを、知らなかったんですよ。

百段階段は、東京観光名所のひとつとなっており、観光ツアーなどにも取り組まれているそうなので、ここは百聞は一見に如かずで行くしかない。

 

そして、せっかく行くのだからガイド付きツアーに参加することにしました。

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百段階段ガイド付きツアーに参加

ガイド付きチケットは、日時指定の定員制。
事前にネットでチケットを申し込みました。

当日11時スタートで、約1時間のガイドツアーでしたが、やはりガイドさんから直接お話を聞くほうが、心に残ります。

館内は土足禁止。
よって脱いだ靴はポリ袋に入れて、それを持っての見学となります。

さてさて、ガイドツアーで印象に残ったお話ですが・・・。

雅叙園創設者の細川力蔵は石川県出身ですが、15歳で上京し神田の銭湯で住み込みで働き始めたそうです。
この銭湯で、細川氏はいろいろな情報を集め、富裕層の方たちとも親交を深めていき、ついに不動産業を始めたというのですから、情報収集力と先見の明にものすごく長けていたのでしょう。

 

1931年(昭和6年)、目黒で料亭・雅叙園を始めた細川氏は、一般庶民も料亭が利用できるようにと、メニューに料金を明示したのだとか。

 

その後、園内に浴場を造り、食事とお風呂を楽しめる、今でいうスーパー銭湯なるものを造ったのですから、目の付け所がすごい。

目黒の雅叙園は、昭和の竜宮城と呼ばれるようになりました。

 

また、当時は結婚式を神社などで挙げ、その後の宴は長い距離を歩いて料亭へ移動するのが一般的だったそうですが、そこへ目をつけた細川氏。

挙式と披露宴を一緒に行える、日本で最初の総合結婚式場をつくったのですから、常識にとらわれずに常に先を見越す力がある経営者はすばらしいですね。

 

人々が何に困っているのか、常に耳を傾け、その解決策を誰よりも先にやってのける人。
そんな人が財を築けるのでしょう。

 

7つあるお部屋の天井や欄間に描かれた絵や、柱や襖の装飾は、伝統的な美しさがあるのでしょう。
多くの外国の方も見えていましたが、日本の伝統美は彼らの目にどう映ったのでしょうね。

 

私は、こういった絵には疎いのですが、それでも巨額の財産を投じて造られたというのは、よく伝わってきました。

百段階段は一見の価値ありです。

ホテル雅叙園東京の豪華さ

さて、百段階段もすばらしかったのですが、それよりも私がさらに驚いたもの。
それはホテル雅叙園東京の豪華絢爛な造りだったんですよ。

 

「百段階段のガイドツアーの時刻になるまで、1階のホテル内を自由に見学なさってください」と、案内の方に言われ、最初は時間つぶしのためエントランスから奥へと進んで行ったのですが。

 

こんな豪華な造りのホテル、今までお目にかかったことがありませんでした。

 

なに!ここ?
まさに竜宮城?

 

館内にせせらぎがあり、錦鯉が泳いでいます。

 

ホテルの建物内なのに、さらに茅葺き屋根の建物があるって、いったいどうなっているの?

 

↑トイレ入り口です。
でも、最初はここがトイレだなんてわかりませんでした。

 

しかも、トイレの中に橋がかかっている。
どういうこと?

 

ホテル廊下に展示された美術品の数々。
もはや廊下と呼んじゃいけない。

 

伝統ある御神輿も展示。
いったいなに?

 

エレベーター内、お正月の重箱かっ?

この日雅叙園で結婚式を挙げるカップルが10組ほど。
ブルーの絨毯が敷かれた階段で、着物を着て記念撮影している方や、黒のパンツスーツに身を包み、颯爽と歩くスタッフの方たち。

優雅にレストランで食事をしている方たち。

私の暮らす世界では、絶対に混じり合わないであろう世界が、そこにありました。

豪華な世界を垣間見て、なんだか生きる勇気が沸いてきた私。
私は私の生きる世界で、恥じぬような生き方がしたいと思いました。

私も、猫背になりがちな姿勢だけでも正さなくては。
ホテル雅叙園東京は、十分な目の保養になりました。

 

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