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初詣にて 物事のとらえ方次第で心は満たされるものだ

今年も、近所の小さな神社へ初詣に行った。

2つの町内で管理運営している神社で、元日こそ社務所兼拝殿には交代で人が詰めているが、1月2日ともなればさすがに誰もいない。
参拝客さえ一人もいないので、まるでプライベート神社といったところ。

父はその神社の総代の一人だった。
少子高齢化の影響もあり、神社の運営は年々厳しさを増している中、複数人の総代を立てなんとか維持管理をしているといった状態。

しかし、この地に60年以上も住んでいた父は、神社のお祭りやお正月にはせっせと足を運び、いろいろな役割を担っていた。

私も、子どもの頃は秋の神社のお祭りにいそいそと出かけ、金魚すくいをやったり綿菓子を買ったりと楽しんだものだが、中学生になる頃にはまるで興味がなくなってしまい、神社の境内に足を踏み入れることもなくなった。

そう。
この神社へ初詣に訪れるようになったのは、父が亡くなってから。

皮肉なもので、父が生きている間はまるで興味がなく、父が神社とどう関わっていたのかも知ろうとさえしなかった私が、今では神社仏閣巡りが趣味だと言っているのだから、なんだか笑っちゃう。

私が神社仏閣巡りをするようになったのも、実は父の生き方を追ってみたくなったからなのだと思う。
なんたって父は、京都の祇園祭に魅せられ、定年退職後は10年間も毎年京都を訪ねていたのだから。

他に誰も参拝客がいないので、お賽銭を入れ手を合わせながら、心の声が思わず口から出た。

「お父さん、今年も見守っていてください」と。

「おじいさんは、ここにいるわけじゃないよ」と、隣で長男が言う。

そう。
わかってる。
父はこの神社にいるわけではないんだよね。
だけどここに来ると、見上げる大木の枝に、並ぶ鳥居の朱色に、父の想いがひしひしと伝わってくるんだ。

なぜかお墓の前よりも、父がここにいるような気がしてならない。

「おじいさんは、お正月はきっとここにきてるよ」と、娘が言った。

お賽銭箱の横にひっそりと置かれたおみくじを引く。
昨年は【吉】だった。
そして今年も【吉】。

物事はどんどん良いほうへ向かっている。

心が幸せで満ち溢れた。

やっぱり父は見守ってくれている。

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